5月17日 にんげん研究会レポート
お久しぶりです。いよいよ本日5月17日(木)より2018年度にんげん研究会が始動しました。にん研とは鳥取大学地域学部の学生と一般の方々が一緒になって、自分の興味関心を、本を読んだり人に聞いたり話したりして調査し、その都度発見したことなどを自由に発表し合う、程よく緩くて程よくためになる研究会です。
今回の参加者は15名程で、新しく参加してくださった方が半分以上を占めておられました。それに加えてゲストの方(後述)のお子さん二人も遊びに来られていたので、今回のにん研は新年度第一回目にふさわしくとても賑やかなものになりました。
さて、そんな様子の2018年度第一回のにん研には、4月より鳥取短期大学に赴任されることになった渡邊太さんをお招きして、ご本人の自己紹介と、今興味があることについてお話していただきました。
渡邊さんは鳥取に来られる以前、大阪で自宅カフェ「太陽」や「コモンズ大学」といったコミュニティづくりの場を作ってこられました。きっかけは、渡邊さんが過去に勤めていたある専門学校の近くに「太陽」という、民家をそのまま店舗として利用しているカフェを発見したことです。「太陽」には、当時の渡邊さんと同じく、少し不安定なお仕事をしておられる方や、引きこもりの方など、変な言い方をすれば、「世間から少しズレた人々」がさまざま集まる場所だったそうです。とは言ってもただ「変人が集まる場所」というよりかは「どんな人でも入り込める、受け入れられる場所」だったのだと思います。知らない人同士が同じこたつの中でコーヒー片手にぶっ飛んだ議論を繰り広げる。一見無くてもいい空間にも思えるけれど、今のように都市部で、何でもかんでも民営化されて有料化されている社会においては、無料でたくさんの人が自由に集まれる空間や広場というのはとても大切なものなのかもしれません。
渡邊さんはお話の中で「空間のデザインによってそこで生まれるコミュニティの様子も変わる」と仰っていました。それを分かっているせいなのか、確かに渡邊さんはその場その場の空気を楽しんでおられるような印象で、ゲストハウス「たみ」で行われたにんげん研究会にもあっという間に馴染んでいたように見えました。
そんな渡邊さんは鳥取に来てまだ間もないので、鳥取のコミュニティや芸術文化の様子についてはまだまだ模索中だそうです。今後の渡邊さんの動向に注目していきたいですね。(笑)
さて次回のにんげん研究会は6月14日にゲストハウスたみで開催予定です。まだにん研に来たことないよって方は是非是非来てみてください。
映画「記憶との対話〜マイノリマジョリテ・トラベル、10年目の検証」 上映会+トークイベント
「にんげん研究会」(にんけん)とは、鳥取大学の学生らといっしょに、"にんげん" をテーマに研究する集まりです。3月は、鳥取市にある「ことめや」を会場にして開催します。
様々なマイノリティ性を抱えた表現者が集まって創られたパフォーマンス作品「東京境界線紀行『ななつの大罪』」(2006年発表)は、表現活動における〈障害〉の概念への問題提起として大きな評価を得ました。その伝説的なパフォーマンスの記録と、作品に関わった人たちの10年後を検証する映画「記憶との対話」(http://mimajo.net/)の上映を通じ、〈障害〉と〈健常〉の境界線の再考、障害と表現活動、そして多様な人々と共に生きる地域の姿を考えます。
パフォーマンスを製作した「マイノリマジョリテ・トラベル」と、映画を製作した「マイノリマジョリテ・トラベル・クロニクル実行委員会」の活動紹介、映画上映(約60分)後、映画が提起する問題をきっかけとしながら、ゲスト(実行委員会代表:樅山智子さん、事務局:長津結一郎さん)を交えて、参加者と共に対話を深めていきたいと思います。
開催日時:2018年3月16日(金)18時〜21時
会場:ことめや(鳥取市瓦町527)
参加費:無料 定員25名(先着順・予約不要)
司会:蛇谷りえ(うかぶLLC)
地域社会の記憶と文化のためのメディア・プロジェクト
主催:鳥取大学にんげん研究会・地域学部附属芸術文化センター 五島朋子
鳥取大学:人口希薄化地域における地域創生を目指した実践型教育研究の新展開(戦略3ー1)支援事業
お問い合わせ うかぶLLC 蛇谷りえ
・メール jatani@ukabullc.com
・電話 0858-41-2026(たみ)
*マイノリマジョリテ・トラベルとは?*
代表・樅山智子の呼びかけで2005年に立ち上げ。2006年に「障害」と「健常」、「マイノリティ」と「マジョリティ」の境界線に問いを投げかけ、その線引きの行為を可視化するパフォーマンス作品「東京境界線紀行『ななつの大罪』」を発表。表現活動における「障害」の概念への問題提起をし、その先見性と実験性が評価された。
公式サイト
https://www.facebook.com/mimajo2005/
*ゲストプロフィール
樅山智子
(作曲家、マイノリマジョリテ・トラベル主宰) 福井生まれ、ニューヨーク/カリフォルニア育ち、東京在住の作曲家。スタンフォード大学にて作曲と文化心理学を二重専攻し卒業。文化庁新進芸術家派遣制度研修員としてオランダ王立ハーグ音楽院作曲科留学。世界各地で領域を横断するサイト・スペシフィックなプロジェクトを展開し、社会的マイノリティのコミュニティや異分野の専門家等との恊働を通して、同時代的かつ民俗的であるからこそ現代社会に対するコメンタリーとなりうる音楽を探求している。 https://www.tomokomomiyama.com/
長津結一郎
(九州大学大学院芸術工学研究院助教) 東京藝術大学大学院修了、博士(学術)。専門は文化政策、芸術社会学。異なる立場や背景をもつ人々同士の協働と、そこにあるアートの役割について探求している。2018年2月発売の著書『舞台の上の障害者:境界から生まれる表現』(九州大学出版会)にてマイノリマジョリテ・トラベルに関するフィールドワークを掲載。その他、これまでの企画に『東京迂回路研究』などがある。
「地域と文化のためのメディアを考える連続講座」の第二回レポート
1月21日。午後4時から午後6時半ごろにかけて、鳥取市瓦町にある「ことめや」でにんげん研究会がありました。今回は今年度にんげん研究会のテーマになっている「地域社会の記憶と文化のためのメディア・プロジェクト」の一環で、「地域と文化のためのメディアを考える連続講座」の第二回として催されました。「地域社会の記憶と文化のためのメディア・プロジェクト」とは「観る」「言葉にする」「聞く」という要素をベースとして、メディアを考え直してみようというプロジェクトです。今回はその中の「言葉にする」ということにスポットを当てたお話でした。
今回はゲストに哲学者の鞍田崇さんをお招きしてトークイベントが行われました。当日は約30名ほどの参加者がありました。前回は学生の参加者が多かったですが、今回は一般の方にも多くお越しいただきました。
さて、鞍田さんのお話では主に「民藝」という言葉についてスポットを当てておられました。「民藝」とはもともとはなかった言葉であり、20世紀初頭に柳宗悦によって作られた言葉です。この「民藝」という言葉が誕生したおかげで、以前から存在していた伝統的な生活用品に、「美」をはじめとする新たな価値が見いだされ、さらにはそれらの「物」と「人」をつなぐきっかけにもなりました。つまりこの「民藝」という一単語が、埋もれていた物の価値を世間に広め、人々がそれを中心に集まれる広場を作ったのです。
しかし鞍田さんはそのことに少しの懸念を示しておられました。たしかに「美しい伝統的な生活用品」という”見えていなかったもの”を”見えるようにした”のは「民藝」という言葉です。しかし「民藝品だから価値がある」とか、「古いものだからきっと素晴らしいものなんだろうね」という風に、言葉の魔力によって人々がそれぞれのものと向き合えなくなる状態、つまり「見えたものを見えなくする」のも言葉だということなのです。
自分はこの話を聞いたとき、ある言葉を思い出しました。
「名前ってなに?
バラと呼んでいる花を
別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
名前、つまり言葉とは、目の前に当たり前のように存在しているものを意識するきっかけにしか過ぎません。(そのきっかけを生むこと自体は誰でもできるような簡単なことではないと思いますが…)そのきっかけを経て、目の前にあるものと自分の目で向き合うことこそ本質なのです。
言葉は我々にたくさんのものを見るきっかけをくれますが、それをどう判断するか、どう捉えるかは自分の目で決めることであり、自らを言葉の海の中に置きながらも、その中で流されることなく自立していることが大切だと思いました。
12月15日 にんげん研究会レポート
12月15日にゲストハウスたみでにんげん研究会がありました。今回はたみの蛇谷さんと鳥取大学関係の参加者5名に加えて、たみの住人の方一名にも飛び入り参加していただきました。内容は忘年会と、それぞれの記録の完成品の見せ合いっこ、来年の方針の話し合いがメインでした。忘年会では水餃子の鍋をつつきながら小室哲哉の話をしたり、2000年代のCMを観て懐かしいって盛り上がったり、ある失恋したメンバーの悩みをみんなで考えたり、なんかよく分からないけど楽しい感じになりました(笑)
メディアプロジェクトはいよいよ大詰めを迎えており、編集を終えたメンバーからは様々な意見が寄せられました。なかでも印象的だったのは「記録に自分を溶け込ませる」というトピックです。これは12月13日に鳥取市瓦町の「ことめや」で行われた、映像人類学者の川瀬慈さんのトークイベントの内容にも関連することですが、記録は単に事実を並べるだけでなく、そこに「自分」を介入させることで、受け手の充実感が全く違うと思います。自分はそれを「ライブ感」というふうに言っているのですが、ライブ感があると受け手の方は記録に残されたことをあたかも自分が経験したことのように受け取ることが出来ると思うんです。僕もあるメンバーの記録を参考に再度編集してみたんですが、このライブ感を出すのって意外と難しくて、編集段階になって「あの時の自分は何考えてたのかな」って思い出そうとしてみても、インタビュー当時の自分すら編集の対象になってしまって思うように書けませんでした。だから記録って単に相手だけじゃなくて、自分自身も記録の対象なんだと思いました。
さて来年のにんげん研究会でもこのメディアプロジェクトは継続していく予定です。自分自身このメディアプロジェクトでWebの記事の作成を含めて、自分の経験や人の話を文章化するというスキルが少しは上達したと思うので、ぜひ来年度から参加する学生や一般の方にも何か得るものがあったらいいなと思います。また運営については今年は蛇谷さんや先生が中心になってくださったのですが、少しずつ学生主体にしていって長期的な活動を見据えてやっていくつもりです。
少し早いですが、今年もお疲れさまでした。寒い日が続きますが、どうか皆さんもお体に気を付けてよいお年をお迎えください。来年からでももし興味がある方がおられたら、ぜひにんげん研究会にご参加ください。それでは!
「地域と文化のためのメディアを考える連続講座」の第一回レポート
12月13日。午後7時から午後10時前にかけて、鳥取市瓦町にある「ことめや」でにんげん研究会がありました。今回は普段の研究会ではなく、ゲストに映像人類学者の川瀬慈さんをお招きしてトークイベントが行われました。当日は急遽セッティングを変更するほど多くの方にお集まりいただきました。川瀬さんは約30名ほどの参加者の方々が、広くはない座敷にぎゅうぎゅうに身を寄せ合ってトークイベントを聞いている様子を気に入っておられるようでした(笑)
さて今回の企画は、今年度にんげん研究会のテーマになっている「地域社会の記憶と文化のためのメディア・プロジェクト」の一環で、「地域と文化のためのメディアを考える連続講座」の第一回として催されました。「地域社会の記憶と文化のためのメディア・プロジェクト」とは「観る」「言葉にする」「聞く」という要素をベースとして、メディアを考え直してみようというプロジェクトです。今回はその中の「観る」ということにスポットを当てたお話でした。
川瀬さんは映像人類学者として、主にエチオピアを中心に「民族史映画」を制作しておられます。この映像人類学は、特定の場所に居座って現地の中に溶け込みながら民族史を記録するという人類学とは少し違います。現地の風景を人類学的な観点に注目しながら、かつありのままの姿を映像として記録するのが映像人類学なのです。僕は人類学的なトピックについては知識がないので正直その点に関しては理解できませんでしたが、「ありのままの姿」という点については確かに映像にあらわれていると思いました。自分はその場にいなかったのに、映像を見ている最中はあたかも自分も現地にいて、その空間を目の当たりにしているかのように感じたんです。これはもしかしたら実際に見て記録した川瀬さんと場を共有していたせいもあるかもしれません。
しかしこの「人類学的な観点」と「ありのままの姿」の間には、記録と表現との葛藤があるそうです。川瀬さんはその記録と表現との間で思い悩むことが、それが形になって人の目に触れた時の成熟につながるとおっしゃっておられました。
この「記録を形として残し、人の目に触れたときにあらわれる成熟」は僕らが普段にんげん研究会で取り組んでいるメディアプロジェクトでも意識しなくてはいけない感覚だと思います。記録は日記ではないので、必ずそれを見る第三者がいます。僕はその第三者に、いかに「自分も経験したような錯覚」を与えるかが重要だと思いました。記録を見て「へー、そうなんだ」で終わることなく、小さなことでもその人の中で変化が起きるきっかけになってくれたらいいなと思いました。そのためには単なる事実の羅列としての記録ではなく、そこに少しずつ自分を溶け込ませていくという、簡単なようで難しい編集作業が大切だと思います。
さて1月21日には「地域と文化のためのメディアを考える連続講座」の第二回が鳥取市瓦町の「ことめや」にて催されます。第二回は哲学者の鞍田崇さんをお招きして、「言葉」というメディアの創造についてお話しいただきます。興味がある方は是非「ことめや」にお越しください。
11月22日 にんげん研究会レポート
2017年11月22日に、にんげん研究会(以下にん研)がありました。今回はたみの蛇谷さんと鳥取大学関係の参加者5名の計6名の参加者がありました。会の始まりには「体調と気分はどう?」というちょっとした質問コーナー的なものがあって、それぞれの近況を報告し合いました。「寒くなると寂しくなっちゃう」学生たちとは対象的に、社会人の方たちは一人の楽しさを分かっておられるようで、自分も早く自分一人で立てるようになりたいなぁと思いました(笑)中には「にん研があるから仕事が頑張れる」と仰ってくださった方もおられて、にん研は「居場所」とか「広場」みたいな役割もあるかもしれないと思いました。
さて今月のにん研は、これまでメディアプロジェクトの中で取り組んできたインタビューの内容を、それぞれが一度編集してみて、それをみんなで見せ合おうという内容でした。先月の記事でも紹介しましたが、記事を編集する上での制約は以下の10個です。
▽A4サイズの紙にまとめる。
▽「〇〇を集めている人」をタイトルにする。
▽取材対象のプロフィールなどの基本情報を載せる。
▽実名ではなくあだ名やニックネームなどの仮名を使う。
▽話し言葉で書く。
▽手書きで書く。
▽質問者である「自分」の痕跡、「私」という立場を残す。
(自分はどう思ったとか取材対象との繋がりなど)
僕の記事は例えるならWordで作ったレポートのような文章やレイアウトで、参加者の皆さんには「読みやすい」という感想をいただきました。確かに自分でも見やすい出来栄えになって満足感はあったのですが、僕自身は他の参加者さんの、「イラストをたくさん散りばめた記事」とか、「インタビューの最中に思ったことやインタビュー対象のリアクションなどを”ライブ感覚”で文章の中に盛り込んでいた記事」が気に入りました。でもそこはそれぞれの個性だし、記事ごとに全く違うスタイルを楽しめるのも手書きの良さかなと思いました。
それぞれ編集に挑戦してみた感想の中には、「まとめをどうするか悩んだ」とか「着地しづらい取材の仕方だったと気づいた」など「まとめ」に苦労しているというものが多くありました。それに対しては「このメディアプロジェクトは研究でも調査でもないから、自分が素直に”面白い”と思った頃を、読者に”見て見て!”ってそのまま記事に落とし込むような感覚でいいんじゃないか」というような意見が出ました。確かにこのメディアプロジェクトに何か意義を満たせようとすると途端に学術的になって緊張してしまうので、例えるなら「自分が新しく見つけた好きな音楽を友だちに聴かせてあげる」時のようなまったりした気持ちで肩の力を抜いてもいいのかなと思いました。それができるのがこのにん研の良さだと思うし、そうやって意義とか考えないで「まとめられないなら、あえてまとめない」というのもにん研らしくてぴったりだと思います。
さて来月12月15日のにん研では、それぞれがさらに完成品に近い状態の記事を持ち寄って、今回のように見せ合いっこします。今月お互いの記事を見せ合った結果、それぞれの記事がどのような形になるのか、僕も楽しみです。ちなみにこの15日はにんげん研究会の忘年会も兼ねていますので、メディアプロジェクトに興味がある方、お鍋が食べたい方は、300円を握って「ゲストハウスたみ」に是非お集まりください。