分科会「芸術と社会」in Smooth

「井戸端会議だから発される言葉がある」という企画趣旨のもとに始まった、にんげん研究大発表会2019。「井戸端会議」とは、集まった学生や参加者の方々が、会場ごとに与えられたテーマをもとに意見交換していくというものであった。その会場の一つとなった、メキシコ料理店兼ライブハウスの「スムースSmooth」では、「芸術と社会」をテーマにそれぞれの研究関心を通じて7人の発表者が集まった

 

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1つのテーマで集まったのはいいものの、研究関心の方向性が全く異なる7人。研究テーマも、音楽アウトリーチ活動、タイポグラフィ、路上パフォーマンス、エンタメトラック企画の提案などの芸術活動や、ダークツーリズム、アートの公共性、サステナビリティなど、それぞれ異なる大きなテーマであった。はじめに私たちは、全く異なったこれらのテーマをもとに、模造紙にテーマごとのキーワードをポストイットしながら、それぞれのテーマが内包するワードをより細分化していった。そうすることで見えてきたのは、テーマだけで見ると関連していなさそうな研究の間にも、例えば「一回性」といったキーワードでは繋がるところがあるということであり、さらに話し合うなかでは、それらキーワードと反対の意味を持つキーワードも見えてきた。このように研究テーマを細分化することで新たに生まれたキーワードを、類似するもの、反対または対立したところに位置するものとして、模造紙の中にいくつかの「島」を作りながら、再分配していく作業を続けた

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「井戸端会議」であるから、発表というよりは駄弁るというイメージ。ゆえに、研究テーマやキーワードから派生して、他の会場から訪れた人の考えや、他の会場から持ち寄った話題を織り交ぜながら、自由連想のような形で話は進んでいった。なかでも、移動式エンターテイメントや路上パフォーマンスなどの研究から派生して出てきた「一回性」と「自己満足」の二つは、特に議論されたキーワードであった。移動式エンターテイメントや路上パフォーマンス、音楽アウトリーチ活動など、アーティストを介するものには、「一回性」と「自己満足」が、常に付き纏う言 葉のように思われたためである。一回性の芸術、例えばライブでは、人々は一緒に行く友達を誘って、チケットを買っていく。YouTubeなどの動画配信サービスやライブ配信ツールなどを利用することでわざわざ足を運ぶことなく、音楽を聴くことができる時代に、改めてわざわざ足を運ぶ意味とは何かを私たちは考えてみた。実用性ではない「第三の価値」が、そこにはあるのだろうか。あるいは、アーティストについて考えてみるとわかりやすいと思われるが、人々は、一から自分で作るということに何か価値や魅力を見出しているように見える。彼らは、実用性や効率性から離れたところにある、無駄なもの、必要じゃないものに意味があると信じたいのかもしれない。このような駄弁りを通じて、「一回性」と「自己満足」をめぐる議論が交わされていった。

 

自らがパフォーマーとして活動する人が多い私たち「芸術と社会」チームに対して、他のチームから興味深い指摘を受けた。パフォーマーであるのに、自分の感情より意外にも「社会」に目を向けて研究しているという点である。言われてみれば、1日目の「芸術と社会」チーム内の井戸端会議の中でも、「これを載せたら自分がどう思われるのか」といった視点や、「どうやったら世に出られるか」などの発話が多く、また、「自己満足」というキーワードが出たように、パフォーマーとしての行為が自己満足になってはいないかという、言うなれば「社会の目」のようなものを、私たちは気にしているようにも思われた。

異なる環境で生まれ暮らし、出会う人や目に映る景色も違う人々がそれぞれの興味関心を通じて新しい出会いなどの体験をした「井戸端会議」。考えたこともないようなテーマや生きること、死ぬことなどの大きな人生のテーマまで、すぐに言葉にはできず、もやもやとすることもあったかもしれないが、その中で疑問や関心ごとが生まれる瞬間を体験できたかもしれない。普段学んでいる環境から少し離れて、「知識」が前に出ず、よりフラットな関係で話すことのできる時間になったと思う。

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(文:武田夏歩、編集協力・写真・オブザーバー:小泉元宏)

 

オブザーバー:小泉元宏のコメント

本分科会は、立教大学4名、鳥取大学2名、国際基督教大学生1名の7名によって構成されていた。ただし立教大学生と鳥取大学生の多くも、それぞれに学部や学科、所属が異なっており、「芸術と社会」という括りのなかでも、さまざまな関心を持った発表者が参加していた。発表や議論では、参加者相互の研究関心の関係性を捉えながら、キーワードを挙げることを通じて、自己や社会の新たな一面を探索的に発見することに多くが費やされていた。上記の文章における、「出会う人や目に映る景色も違う人々がそれぞれの興味関心を通じて新しい出会いなどの体験をした」という一文にも、そのことの一端が示されていると言えるだろう。また本分科会は、メキシコ料理店兼ライブハウスである「スムースSmooth」の2階を拠点としながら展開した。魅力的な絵や装飾を伴う屋根裏部屋のような佇まいを持った空間だからこそ広げることができた想像や議論があったようにも思われる。課題としては、部屋の使い方に関して事前に十分な打ち合わせができていなかった点が挙げられる。部屋の中に立てかけてあった木製のテーブルをマジックを用いながら筆記のために使用させていただいたところ、オーナーからインクの裏移りの可能性があるため使用を控えるよう注意があった。グループメンバーも事前に裏移りに配慮しながら慎重に使用していたとはいえ、あらかじめ部屋の使用に関するルールを丁寧に確認しておくことが必要であったと思われる。

このような普段とは異なる想像力の回路を働かせる機会は、たとえ一見すれば荒唐無稽であったり、ともすれば偏ったりしているように見えるアイディア出しが多くを占めたとしても、主流的な見方や考え方を転回させていくための萌芽となることだろう。参加者が、この機会に得た気づきを、今後の研究はもとより、自身や自身をめぐる生、あるいは社会に対する見方、切り取り方に生かしていくことを期待したい。