2020年7月16日のにんげん研究会参加者の声

 7月のにんげん研究会定例会も以前同様リモートで開催されました。新型コロナウイルス感染のリスクを考慮したうえで今年度はリモート上であらゆる場所に住む方と繋がり、それぞれの日記を持ち寄って披露しあっています。そのこともあり鳥取県内だけでなく関東圏や九州地方、さらには海外から参加している方もいました。

 

 「オンラインで出会える/つながらないことで出会ったモノ」をテーマに今回も個性あふれる様々な日記が朗読によって披露されました。寄せられたアンケートからは「誰かが読むことで文章の伝わり方、面白さがぐっと変わってくる」「一人一人の声や読み方が魅力的だった」と日記の内容だけでなく今回は発表者の“声”に関する感想が多くみられました。そして、今後に向けて「学生だけでなく一般参加の方の日記も聴いてみたい」という意見がみられました。ぜひ今後の進行の参考にさせていただこうと思います。また、「スクラップボックスのテキストの書き方が分かりやすいと助かる」という意見もいただきました。こちらに関してはあくまで掲載しているテキストは参考であり、これに必ず従う必要はないと思います。掲載の方法も一つの個性として形式にとらわれず掲示してみてはいかがでしょうか。

 

 今回も真っ直ぐな感想や意見をたくさんいただきました。アンケートに関する意見も多数寄せられています。私たちアセスメントチームも皆様によりにんげん研究会定例会を楽しみに参加していただけるよう、寄せられた意見をもとにアンケート作成や今後の活動に精進していきます。今後ともアセスメントチームの活動へのご協力よろしくお願いいたします。

 

にんげん研究会アセスメントチーム一同

にんげん研究会レポート「目で読む、口で読む -「声」から暮らしをのぞく-」

 2020年7月16日(木)に、第3回にんげん研究会(以下、にんけん)が行われました。今回のにんけんでも鳥取大学の学生のみならず、大学外の方の参加もありました。今年のにんけんは「コロナウイルスの影響を受け、オンラインで繋がることで新しく出会えたことや繋がれたこと、繋がれない状況の中で出会えたもの」を日記として発表をしています。書いてきた日記を毎回数名の発表者が読み上げて、「うかぶLLC」の蛇谷りえさん、写真家の金川晋吾さん、アニメーション作家の今林由佳さんの3名が質問や感想を言う形で進めています。前回は9名の学生が各々の日記を発表しました。

今回は、9名の学生以外にも、鳥取市のわらべ館で働かれている高橋智美さんからも発表がありました!私は日記の発表者でありかつ、このレポートの報告者という2つの立場でにんけんに参加していたところ、「声」というキーワードに着目しようと思いました。

日記の文章に、一人一人の声が添えられることでその人の暮らしが見えてきていたのではないかと考察してみました。では、10名の発表者の内容とそれに対するコメンテーターの方たちのリアクションを記していきたいと思います!

 最初に発表されたのは、音泉寧々さん。日付は2020年7月16日、タイトルは「七重と遊んだ」です。友人である七重さんと4か月ぶりに遊んだ音泉さんは、以前から遊ぶ約束をしていてもコロナの影響で中々会えずZOOMやSkypeを使って会っていた2人はようやく直接会って遊ぶことに。少し前にバズったよく飛ぶ飛行機を2人で学部棟の階段で飛ばして遊んだ後は、「ひとつ屋根のした」でご飯を食べ、その後、七重さんのおすすめのホラー映画を見て遊んだそうです。とにかく七重さんと遊べて楽しかったということが伝えられました。

この発表に金川さんは、「ですます調」で書くことで発表するっていう気持ちがありそうとコメントされており、そのコメントに付け加えて今林さんは、「(ですます調で書くことで)書き捨てるのではなく、書き綴っている感じから七重との関係を伝えたいという思いが伝わってくる。」とコメントされていました。

 次に発表されたのは、池田真都さん。日付は2020年7月16日、タイトルは「パソコンとアナログ人間」です。コロナ禍で授業形態がオンライン授業に変わり、授業の出席確認もインターネット上でのレポート提出へと変わった中で、課題を提出しようとしたらサイト内の別のボタンを押してしまって、レポートが全部消えてしまった池田さん。再度書き直そうにもやる気は出ず寝落ちしてしまい結局その日のレポート課題は出せなかったという日記でした。

発表が終わると同時に笑みがこぼれる3人。どうやら池田さんの声がいい声過ぎてハマったようでした。「読み手が変わると話変わる!なんでそんなにいい声なの?」(今林さん)、「一時保存すればよかっただけの話だけど、話の膨らませ方、メリハリのつけ方が上手!」(蛇谷さん)とのコメントがあった後、再び、今林さんからは「アナログ人間なのに伝え方(読み方)が抑揚とかアナウンサーっぽさがデジタル。朗読とのセットでアートって感じ。」続けて金川さんからは「何かやってたの?」との質問がなされたところで、池田さんは放送部に所属していたということが明らかとなり、これにコメンテーターの方々は「あ~」と納得された様子でした。

 次に発表されたのは、石本愛実さん。日付は2020年6月7日、タイトルは「友人とわたし だいたい第300話」です。以前から訪れたいと思っていた燕趙園に友人と出かけた石本さんは、行っている最中の電車の中で友人とたい焼きはどこから食べるかといった話で盛り上がる中、燕趙園に着きました。燕趙園では庭園建築の写真を収めはしたが、建築物やそのスケールを確かめる程度の友人や石本さんの写真しかなかったことが心残りであったそうです。土産物店では2つセットの蓮華を割り勘して買ったり満足した1日だったという日記でした。

この発表に今林さんは、「石本さんの日記は昔の本のような主観を除いた景色を描く書き方、波のような書き方だね。」とおっしゃっていました。石本さんの「写真を撮る目的だったのに友人との過ごした時間・会話が大事だったことを明記したほうがよかったのか」という質問に対して、金川さんは、「もう伝わってるよ。小説のようにそれは描写で伝わってきている。」といった会話が繰り広げられていました。

 次に発表されたのは、角野綾香さん。日付は2020年7月16日、タイトルは「宝くじが当たったらグランドピアノほしいな」です。コロナでの自粛期間の中で家にいる時間が増え、ピアノを触る時間が増えたそうです。角野さんには思い出の曲が2つある。1つはベートーベン作曲のピアノソナタ第8番「悲愴」、もう1つはドビュッシー作曲のピアノ組曲版画3、「雨の庭」。悲愴は、『低く重い低音から始まり、主題も高音に上がっていったかと思えば、また低音から上がりなおすところから、未来に向かっていこうとしたらまたどん底に落とされたような旋律のイメージ』、雨の庭のイメージは、『フランスの雨降る庭で、最初はざあざあぶりなのが次第に止んで虹が出るまでを表しているイメージ』がある。弾きたい曲はたくさんあるけれど、全然弾けなくなっているから自粛期間中に練習したいという日記でした。

この発表に蛇谷さんは、「私はどこに落としてきたんだろうこの気持ち…。」とおっしゃり、今林さんは、「耳から聞いているのに少女漫画を思い出させるような…角野さんの読み方がさらにね…。」とおっしゃっていました。

 次に発表されたのは、福田健太郎さん。日付は2020年7月16日、タイトルは「サツマイモ 苗植え・水まき・手伝い」です。サツマイモの苗を分けてくださる知り合いのもとへ出かけ、根を受け取って、畑に帰り、事前につくっておいた畝にマルチシートに穴を空け、苗を植えていく。一気にサツマイモ畑に完成した後、手伝ってくれた方のニンニクの収穫の手伝いをする。ニンニクの香りが漂ってきてBBQをしたいなといった感情が沸き上がってきたようです。コロナの影響がなければ、農業は経験していなかったと感じる。何かが変わる瞬間に立ち会えることができ、小さな変化に気付けるようになった農業は、案外、性にあっていたという日記でした。

この発表に今林さんは、「カメラがぐるぐる回っているような現実の人間を移すカメラ、五感を伝えるカメラが交互に出てきているのが素敵」といったコメントをされました。

 次に発表されたのは、志茂春菜さん。日付は2020年7月13日、タイトルは「ご飯の記録」です。志茂さんは7月8日から12日までの自身で作ったご飯について書かれていました。『7月8日チャプチェ、9日きのこと鮭のホイル焼き、10日鮭ときのこの炊き込みご飯、11日親子丼、12日たらこスパゲッティ。』自粛生活で部屋で過ごす時間が多くなってしまった中で、授業を受ける時もレポートを作成する時もバイトをする時もずっと同じイスに座っていると、部屋に閉じ込められた感覚があり、心が窮屈に感じてしまう。その生活の中でも心が解放される時間がご飯をつくる時だと気付いたそうです。自身で作ったご飯の写真を家族のLINEグループに送ると頑張ってるんだねと大喜びをされたという日記でした。

この発表に金川さんは、「料理名が羅列されているのがいいね。しかも具体的な料理名で声が伴って聴くことができるからもっと聴ける。」今林さんは、「日記が同じテンポで進み呼吸をしているようで肩の力が入っていなくてすごくいい。」とコメントされていました。

 次に発表したのは、私、綿谷綾乃です。日付は2020年7月8日、タイトルは「じいやばあば と 私 を繋ぐお米」です。お米が無くなってしまった私は、祖父母にお米を欲しいという旨の電話をかけた。 私「米が無くなっただいぞ送ってごさんかえ(米が無くなったんだけど送ってくれない)?」 祖母「はーい分かったよ。イチジクとかぼたもちとか、あとージャガイモと玉ねぎもあっだいぞ(あるんだけど)いらんかえ(いらない)??」 私「ほしい!そい(それ)も送っちょって(送ってて)!」 祖母「はいよー。」結局お米を頼んだだけなのに、大量の仕送りもついてきた。コロナで安心して会えないけど早くじいやとばあばのところに安心して顔を見せに行きたいという日記でした。

この発表に今林さんは、「方言が生で聞けて嬉しい!出身はどこなの?と質問され、私は島根県ですと答えると、おばあちゃんとの会話でリアル方言聞けて嬉しい」とコメントされていました。

 次に発表されたのは、根路銘翔以李さん。日付は2020年6月27日、タイトルは「ひとりの誕生日」です。根路銘さんは毎年自分の誕生日に手紙を書く習慣があり、誕生日当日は、1つ年上の未来の自分に向けてのお祝いの手紙を書いて、ゆっくり午前中を過ごして、買い物をし、夜にはお気に入りの飲み屋さんに行って、大好きなお酒を飲む1日を過ごしたようです。1人でも楽しい誕生日を過ごせる自分を誇らしく思うという日記でした。

この発表に今林さんは、「いつから手紙を書くようになったの?」と質問をされると、根路銘さんは、「小学5年生の時に見た未来日記以来ずっと書いている。」と答えていました。今林さんは「根路銘さんの日記は日記帳をさかさまにして読むような、自分の心の裏側を紡ぎだした感じだ。」とコメントされていました。

 次に発表されたのは、中村友紀さん。日付は2020年7月15日、タイトルは「さっきあったことから書き始めたこと」です。中村さんは、アートマネジメント講座の中で行われた受講者の自己紹介の中で緊張して手汗をかいてしまい、勢いで口が滑り、終わってからは気持ち悪さを感じるほどの緊張を覚えたそうです。中村さんは、自分のことを怖がりだと言いました。ジェットコースターもお化け屋敷も、人と話すことも、不安だけど、自分で慣れて乗り越えるしかないという日記でした。

この発表に蛇谷さんは、「どこに置いてきたかな怖がりな私~~~」と話されていました。金川さんは、「自分との対話をしていて一歩距離を置いて考えているね。」とコメントされていました。

 最後に発表されたのは、高橋智美さん。コロナでわらべ館が休館になったこともあり、今まで開けたことのなかった棚を開けてみるとびっしりと新聞記事が貼られたスクラップ帳を見つけたそうです。さらに資料を探してみると、旧図書館の設計者の情報、図書館分類法を考案した森清が職員として在籍していたことを発見したそうです。旧図書館にあるネガフィルムを機器に通してスキャンをしてみると、50年前の図書館がモニターに現れ感激した高橋さんは、900枚ものフィルムを見続けたそうです。旧図書館のことを知っている方が健在のため、もっと話を聞いていきたいという日記でした。

この発表に蛇谷さんは高橋さんに「普段日記は書きますか?」と質問したところ高橋さんは、「日記を普段描くことはせず、小学生の頃は先生が見てくれて反応があったから自分のためには書かなくなった」という回答に対し今林さんは「高橋さんにとっては人とのコミュニケーションをとるための日記だったんですね」とコメントされていました。

 

 10名の日記はいかがでしたか?10名の生活、物事の見方・捉え方、文章の書き方、読み方が全く違っていて非常に興味深かったです。今回私は、発表者であり報告者でもあったため、発表への緊張と、コメンテーターの発言を必死にメモをしていたので、前回のようにリラックスして「ラジオっぽく」聞くことはできず、どういったことを報告書に書こうか考えていました(笑)前回は「ラジオっぽい」ことが議論されていましたが、今回はタイトルにある「読む」という行為について、「声」をキーワードに考えてみたいと思います。

「目で読む」ことに関連したコメントに注目してみると、「書き捨てるのではなく書き綴ることで友達との関係が見えてくる」、「友達との関係性を描写で伝える」、「2つのカメラがぐるぐる回っているような描写」、「日記を逆さまにしたような表現」といったコメントがありました。聞き手自身がまず文章を読み、その文章から発表者がどのような人物か想像され、発表者自身の暮らしが見えてきていました。

「口で読む」ことに関連したコメントに注目してみると、声質や読み方に特徴があることから質問が広がり過去のことが明らかになったり、「耳から聞いているのに漫画を思い出させるような日記」、「同じテンポで進み呼吸をしているような日記」、「方言を生で聞くことができる日記」というコメントがありました。こちらは発表者が自身の日記に「声」を添えることで聞き手が発表者の見ている世界や暮らしを覗いているような感覚を持たせているように感じました。

同じ「読む」という行為でも目で読むのか、あるいは、口でも読むのかという違いで聞き手に与える印象は変わってきます。日記原稿を目で読むだけでも、その人を想像することはできますが、そこに「声」が添えられたことではじめて見えてくるその人の過去や暮らしもある、そんな気付きを得られた第3回目のにんけんでした。次回のにんけんではどのような発見があるのでしょうか。次回は、8月20日(木)に開催されます。興味のある方はぜひお越しくださいませ!

鳥取大学 稲津ゼミ 3回生 綿谷綾乃

2020年6月18日にんげん研究会参加者の声

6月のにんげん研究会定例会はリモートで開催されました。今回の定例会では10名弱ほどのにんけんメンバーが日記を披露しました。どれも独創的で面白く、蛇谷さんらコメンテーターの方々も良い点を見つけて褒めてくださるので、発表者は安心して発表に集中できたと思います。

上述したように、新型コロナの感染リスクを考え、今年はリモートで定例会を行っています。それもあってか、オンラインならではの面白さに気づいたというコメントが多く寄せられました。「ラジオ感覚で聞ける」ということが今までになかった新しさだと捉えているメンバーが多いようです。また、「普段の日常を見直すことの面白さに気づいた。」、「日記のスタイルが三者三様で、それぞれ個性があった。」「物事や他人の内面の発露に対して、人それぞれの捉え方があることが垣間見えた。」等のコメントがあり、人それぞれの価値観の違いに気づいた参加者が多かったようです。次回以降の日記の作成に関する前向きな意気込みも多数寄せられていたので、今後、各メンバーがどのような視点から日常を捉え、それをどのように文章で表現するのか非常に楽しみです。

また、アンケートに対する意見や改善点の提案も多数いただいております。今後はそれらを参考にしつつ次回以降のアンケートの改訂にも取り組んでく所存です。今後とも、アセスメントチームの活動へのご協力よろしくお願いいたします。

 

にんげん研究会アセスメントチーム一同

2020年6月18日にんげん研究会レポート

「ラジオっぽい日記」 鳥取大学 稲津ゼミ 三回生 志茂春菜

2020年6月18日(木)に、にんげん研究会(以下にんけん)が行われました。この日のにんけんでは、学生以外の方も参加をされており、県外から参加されている方もいました。

今回のにんけんのテーマは、コロナウイルスの影響を受け、オンラインで繋がることで新しく出会えたことや繋がれたこと、繋がれない状況の中で出会えたモノを日記として発表することです。日記の条件は、「テーマがわかるタイトル」と「日付」をつけて書くことです。学生が書いてきた日記に対して、コメンテーターのうかぶLLCの蛇谷りえさん、写真家の金川晋吾さん、アニメーション作家の今林由佳さんがコメントをされていました。今回は9人の学生が日記を発表しており、それぞれの日記の発表は3分で読み上げられ、コメンテーターの方からの質問と感想を合わせて10分で行われました。

 

日記では、内容はもちろん文章の構成や話し方まで様々で、クスッと笑える日記や共感する日記、なるほどと納得する日記など、どの日記にも個性が表れていました。学生が発表した日記を全てのせたい思いだが、当日発表された流れでここに簡潔に紹介します。

 

最初に発表されたのは、井田遥さんです。タイトルは「タマネギマン」で、2020年6月15日に書かれたものでした。井田さんは、自粛中の散歩や自炊を行う様子について発表されました。散歩の場面では、毎回同じルートをだいたい決まったプレイリストで散歩をするため、家でプレイリストを聞くときに「この曲はあの辺の道だな」と分かると言ってました。自炊の場面では、タマネギを切る時にラップを取り出し、それをヤッターマンのように目に覆ってタマネギと戦う様子について発表されました。この様子に対して蛇谷さんは、大笑いされていて、蛇谷さんには、ヤッターマンがヒットしたようでした。コメンテーターの方々の笑いを誘った日記は、少し緊張感が漂っていた雰囲気を吹き飛ばしたように感じました。

 

次に発表されたのは、山崎七重さんです。タイトルは「友達との距離」、2020年5月2日に書かれたものです。山崎さんは、24時間もの間、三人の友達と通話を繋げるというチャレンジをしたことについて発表されました。24時間の通話で、音だけで友人が何をしているのかが分かるようになったそうです。今林さんと金川さんから、「若いからできることで自分たちの時代と環境が違う」と笑いながら、コメントされてました。

 

次に発表されたのは、内田はるねさんです。タイトルは「家族と物資とわたし」、2020年5月30日に書かれたものです。この日に家族から食料などの物資が届いたことをきっかけに、コロナウイルス影響下での自身の生活についての振り返りを発表されました。コロナウイルスの影響を受け、実家に安易に帰ることができず、今まで当たり前だった家族との時間の大切さについて語られました。今林さんからは、「コロナウイルスのことが分かるドキュメンタリーとして、将来まで残してほしい」とコメントされてました。

 

次に発表されたのは、宮北温夫さんです。タイトルは「日本経済新聞を読んだ」、2020年6月17日に書かれたものです。宮北さんは、新聞の配達員が運んできた新聞から、コロナ・ショックにおける学生の姿について分析を行っている様子を発表されました。金川さんからは、「ZOOMのアバターがイヌなのに分析的な日記で笑ってしまう」とコメントされてました。

 

次に発表されたのは、渡辺大志さんです。タイトルは「ランニング」、2020年6月9日に書かれたものです。渡辺さんは、運動不足解消のためランニングをしている途中で友人と会った時の出来事について発表されました。友人に対して就職活動やゼミ、卒業論文など話したいことが積もるほどあった様子についても発表をされました。そんな中で、ふと上を見上げた時に見た景色についても語られました。今風に言うと「エモい」みたいな感じの景色である。金川さんは、「心地よい出来事について書いている」とコメントされてました。

 

ここで、休憩が入り、休憩中も様々な会話が飛び交っていました。その中で鳥取大学地域学部の教員を務める家中茂さんは、前半の日記の発表を自分のカメラとマイクをオフにして、「ラジオっぽい」感覚でご飯を食べながら聞いていたと言ってました。私も家中さんと同様にカメラとマイクをオフにして、お茶を飲みながら日記の発表を聞いていました。後日、聞いた話しだが稲津ゼミでは、半身浴をしながら聞いている人や発表者を画面越しに見ながら聞いていた人、猫と葛藤しながら聞いていた人、ドキドキしながら自分の発表を待ちながら聞いていた人がいました。画面の向こうでは、それぞれがそれぞれの聞き方で日記を聞いていたのだと思いました。

 

休憩が終わり、交換の日記の発表になりました。前半もコメンテーターの方々の質問と感想が盛り上がっていたため、休憩をはさんだ後からは時間が押し気味に進行されました。

 

後半の最初は吉田豊さんの発表です。タイトルは「東京」、2020年6月6日に書かれたものです。吉田さんは、日本に旅をしに来たニュージーランド出身の人や大学のために日本に来たドイツ人など東京で出会った、日本にとどまる人々との会話を通して、コロナウイルスと戦いながらも楽しんで生きている人々について発表されました。コメンテーターの方からは、「人と会うことでコロナ化を感じさせられる日記である」とコメントされていました。このコメントの背景には、吉田さんの自分のことを日記でどこまで書くかという悩みがあったそうです。「自分のことではなく、人を通してコロナ化を描いていることで、共感できた」という声もありました。また、「宮北さんの分析的な日記とは対照的である」という意見もありました。

 

次に発表されたのは、増岡祐子さんです。タイトルは「どぶろくは生きている」、2020年6月15日に書かれたものです。増岡さんは、友人の家で飲んだどぶろくのラベルに書かれた言葉から、コロナウイルス影響下の人間の様子について発表されました。人間が自粛をしている間もどぶろくは発酵をしているという意味で「生きている」のか。はたまた本当に「生きている」のだろうか。人間の生きている感覚とは少し違う「生きている」ものとの出会いが、友人とのやり取りを交えながら描かれていました。

金川さんからは、「手紙を書いた人だよね?(昨年末の成果発表会で靴屋さんに向けて手紙を発表されていた) 日記でも一つ一つの物の配置まで書かれていて描写が見える」とコメントされていた。

 

次に発表されたのは、山下紗世さんです。タイトルは「体温を測る」、2020年6月18日に書かれたものです。山下さんは、コロナウイルスの影響で体温と向き合う習慣ができたことについて発表されました。いつの間にか消された、大学から配られたExcelファイルの健康記録表。Excelファイルを本人が消しているにも関わらず、日記を書く際に当の本人は忘れていることなどに対して、金川さんは「この日記を聞いて『茄子の輝き』という本を思い出した」とコメントされていました。また、今林さんからは「瓶に詰めて海に流してほしい」という声もありました。

 

最後に発表されたのは、落合麻衣さんです。タイトルは「身近な人とのつながり」、2020年6月1日に書かれたものです。落合さんは、コロナウイルスの影響下での友人とのつながりや友人と自分の生活リズムの対比などについて発表されていました。また、本当は友人と連絡をとりたいが、断られた時にショックを受けるため自分からはあまり連絡をしなかったが、ZOOMというアプリを使用することで以前より、自分から繋がろうとすることが増えたと発表をしていました。そのため、「人間関係わかるわ~」という声があり、リアルな生活を描いたからこそ、共感できる部分が多かったのだと思いました。

 

以上が発表された日記です。全ての発表を聞いてコメンテーターの方からは、「人に対して日記を発表するため、人に理解してもらうような文章を感じる」と言ってました。また、「日記を人に発表するということで、自分の気持ちの部分をどこまで書くべきなのか」という声もありました。日記とはなにか?という議論が今回もされていました。前回の議論では、日記とは自分の思いを書くものであるという意見や他人の目を気にせずに書いたもの、文章を書くことは他者の目に触れる可能性があるものであり、他人の目を気にするべきものといった考えがあったが今回、金川さんからは「次回は○○をした。○○をした」というような人に見せないことを前提で書かれた本来の日記のようなものを書いてほしいという意見がありました。また、今林さんからは、「日記の主人公が何をしているか様々な角度から描いたらどうか」というアニメーション作家からの視点でアドバイスがありました。

引き続き、にんけんでの日記とは何かを模索していく必要があると考えました。今回の議論を踏まえて、次回の日記で自分がどのような書き方をするのか、他の学生がどのような日記を書くのか楽しみです。

 

今回、私は身近な大学生の日記を初めて聞きました。人の日記を読むということは、あるかもしれないが、聞くということは滅多にないことだと思いました。また、テーマはコロナウイルスの影響下での日記であるため、それぞれがコロナウイルスと向き合わざるを得ない中で生きていてるのだと感じました。

にんけんで日記を書くことは、コロナウイルスの影響を受けて、以前は当たり前だったことが当たり前ではないことやコロナウイルスの影響前と変わらない当たり前の現状もあることなど自分の周りでの出来事に気付くきっかけや考えるきっかけになると感じました。日記を書くことで、友達や家族との関係、自分の気持ちなど自分自身や自分の周りを見つめ直す機会になるのではないかと思います。今後、日記を書いていく中で、どのような気づきを得ることができるのか楽しみであり、それに見合う時間を注いでいくべきだと思います。

 

金川さんが最後に「日記とは、自分の思ったことを書いていい。優越のない世界である」とおっしゃっていた。この、平和な時間を次回も気合いを入れて臨もうと思います。

 

 

2020年5月21日 にんげん研究会レポート

2020年5月21日(木)ににんげん研究会(以下、にんけん)がありました。2020年度初めてのにんけんはコロナの影響がありzoomを使ってオンライン上で行われました。参加者は30名近くで、例年に比べるとかなり多い人数だそうです。

 

 今回のにんけんでは、まず初めに今年のにんけんの流れ・テーマについてのオリエンテーションがありました。今までにんけんの一環で行ってきた「地域の記憶を記録するメディアプロジェクト」は、インタビューなどを通して映像やスライド、展示など様々な手法で行われていたそうですが、今年は日記を用いて地域を記録していく方法で決定しました。

今年も昨年に引き続き「テーマがない」ことがテーマであり、コロナの影響で変わった日常で新しく見えてきた価値観・出会ったものなどを日記を書くことで記録していきます。

 

 初回のにんけんでは、まず初めに鳥取大学から参加する大学教授、うかぶLLCの蛇谷りえさん、ゲストリポーターの写真家の金川晋吾さんとアニメーション作家の今林由佳さんの自己紹介から始まりました。その後、蛇谷さん・金川さん・今林さん・鳥取大学の稲津秀樹さんが日記を書いてきて輪読を行いました。その後、この四人がそれぞれコメントを言っていきました。今後は、蛇谷さん・金川さん・今林さんがコメンテータとなり学生の日記に対してコメントしていく形になりました。

 

 四人の日記は、表現方法は様々なカタチでした。トップバッターの稲津さんは淡々と景色と感情を述べていくような印象。蛇谷さんは、一つのものに焦点を当てて、そこから見えてきた世界を描いていました。今林さんは、会話を導入しながら記憶がまるで動き出しそうな落語のような雰囲気がありました。金川さんは、自分の見えている世界を考察していくものでした。

その後に話されたコメンテーターの話し合いの中で興味深かったことは、「日記というものはなにか?」ということでした。日記というのは、普段自分が感じていることをそのまま書くもので、自分の秘密にかかわるものであるようです。4人のコメンテーターの間では、文章を書く以上ほかの人の目に触れる可能性もあり、他人の目を捨てることはできない。自分自身の感じていることを晒す作業。一方では、他人の目を気にしないで書いたものが日記なんじゃないかというこという意見がありました。また、にんけんの場では、発表するための日記で異質なものであると思います。こうした考えや条件が今後の学生からの日記にどんな風に影響するのか楽しみに感じましたし、自分自身がどのような立場や考えをもって日記を書くのか深く考える機会になりました。

私は初めてのにんけんへの参加だったのでどんな雰囲気なのだろうかと思っていました。

参加している人で普段の立場を気にせず話し合いの場を作るのを目的としているというとでゆるさも感じつつ、オンライン上で初めて顔合わせをする人もいて緊張もあり、独特の雰囲気でした。身近な生活をもう一度見つめること、疑問や関心を持つこと、忘れがちになりやすいですが、考えることを助けてくれるそういった場になると感じました。

今後もにんけんの活動を頑張っていきたいです。 

(文:鳥取大学 稲津ゼミ3回生 福田健太郎

分科会「表現と社会について」in汽水空港

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 セルフビルドの本屋、汽水空港を拠点とした分科会「表現と社会について」では、鳥取大学生4名、立教大生4名に一般参加者1名と汽水空港店主の森さんが加わった10名でスタートした。

 最初の発表は、京都の本屋「誠光社」を事例に「商い」や「資本主義」について考えるというもの。冒頭からかなり深淵なテーマだったが、「誠光社」とも通じる「汽水空港」という場の力で、自然と議論が展開していったのが印象的だった。

 その後、「写真」「3DCG」「演劇」「グラフィティ」「アニメーション」など自ら行う表現活動から日頃考えている世界観について語り合い、最後は「表現の自由」や「美術館制度」の権力性などの話にまで及んだ。

 汽水空港は通常営業中だったので、本を買いにやってきた一般客の方が、時折興味深そうに議論を眺めていくという姿も見られた。森さんや一般参加者からのコメントも、それぞれが抱く人生観・世界観から発せられ、ときに「死」についてもそれぞれの意見(「おそれ」だけでなく、ある種の「あこがれ」もあるなど)が出されるなど哲学的な対話が展開された。

 2日目は、おでかけ班が法輪寺・どれみ・smoothの順にまわり、最後に汽水空港に戻って他のグループと情報交換したことを報告しあった。

 この日おでかけ班が最初に訪れた法輪寺では、これも場の力なのか、前日にここで話された宗教についての話題と汽水空港での死生観の話が結びついて議論が発展していった。最終的には、資本主義に回収されない生き方・働き方として、企業に就職して勤め上げるというステレオタイプ以外の稼ぎ方、仕事像ついての議論が交わされた。ここでも一般参加の方からの経験に基づいた仕事像、特に、いまは会社側も働き方の工夫をしているので、会社に入るのが悪いわけではないといった助言もあった。

 「死」「宗教」「資本主義」といったキーワードを抱きつつ、次に訪れたどれみでは、「まちづくり」というテーマでやや現実に引き戻され、汽水空港で話されたこととの接点では、グラフィティを用いたまちづくりについての功罪についての話が盛り上がった。アートがまちづくりにわざとらしく使われることや、自分の知らないうちに「まちづくり」の名のもとに地元が変化していくことに対する違和感などが表明され、「まちづくり」に自分自身や自分が行っている表現活動がどう関わるべきか、という問いが共有された。

 最後に訪れたsmoothでは、模造紙一杯にまとめられたこの部屋での議論をながめながら、思い思いに感想を語り合った。ここでの対話で印象に残ったキーワードは「感情」。鳥大生・立教大生ともに自ら表現活動を行っている参加者が多かったことから、どんな思い(感情)を社会に向けて表現しようとしているのか、それをどうコントロール(編集)するかといったことが、抽象的なレベルから具体的・技術的なレベルまでを往復しながら議論された。

 汽水空港に戻り、以上の経過を報告するとともに、ここに残って交わされた議論についても模造紙に残されたあしあとをみながら振り返った。最後は時間が足りなくなり、互いの班でのできごとを十分に共有することはできなかったが、ひとことではとても総括できない多様で充実した対話が展開され、それぞれの参加者のうちに刻まれたようだった。(報告:竹内潔)

分科会「にんげんについて」in法林寺

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「たみ」から松崎駅とは反対方向に歩いていくと、浄土真宗大谷派の寺院「法林寺」がある。本堂に入ると、周囲とはまた別種の静けさを感じることができる。入って右の襖のところには一周忌にはじまり、なかには百回忌を終えられた方までの戒名を記した和紙が並ぶ。これだけでも、このお寺が松崎の町の営みといかに深く関わってきたのかが窺える。

本分科会は、山下紗世リーダーの司会のもと、鳥取大学生3名、立教大学生6名、そして飛び入りの報告者Sさんによる計10名の発表が行われた。大枠となるテーマは「にんげんについて」である。分科会の開始前には、お寺のご住職よりお話を頂いた。ご住職のお姿にも現れている真宗大谷派の信仰についてはじまり、仏教の教えでは分科会テーマである「にんげん」を「人間」として記すこと、そして最後に「地域のお勤め」として続けておられるという、除夜の鐘のことや広島原爆の平和学習についてのお話がなされた。

ご住職による有難いお話が聞けるだけでも、何だか得した気分になってしまう。こうした場の雰囲気が引き寄せたのか、この部会には、前述のSさんに加えて、Iさんというお二人の方の一般参加があった。ご住職のお話が終わるや早々に大学生による議論が開始された。

トピックは、「暮らしのなかの宗教」「ホームレスという生き方」「狂気と創造の関係」「ソフトパワーパブリック・ディプロマシー」「セクシュアル・マイノリティ」「自分研究」「化粧」「アイドル文化とファンの行動」「アルザル(アガルタ)」という地球内空洞説、といった具合に多岐にわたっていた。

報告方法としても、事前に作成した「研究シート」をもとに口頭で関心を伝える人、思想書からの引用文を補足のレジュメとして追加配布する人、パワーポイントでいかにも「プレゼン」として伝える人、はては自作の映像作品の上映を始める人、といった具合に、一人一人のアプローチも大きく異なっていた。

このように、ひとつひとつの発表にエッジが効いていたこともあってか、オーディエンスとして参加していた住民のIさんは、学生の報告が終わるたびに「いいですか?」と質問を投げかけてくださっていた。分科会の議論の大半は、この奇特なIさんと学生たちとのやりとりで成り立っていたと言ってよい。自分の報告内容に確実なレシーブがあることは緊張もするが、とても有難いことである。他方、報告内容を見ても分かる通り、学生メンバーたちは、互いの研究に関心を持ちながらも、この部会メンバーに共通する課題を見出すことに大変苦労しているようだった。

ともすれば、そのまま学生同士で内向きに閉塞しがちな議論も、IさんとSさんが寄せてくれた話題と相対化しながら深めることができていたように思う。それが顕著に表れた場面は、お堂での4時間のあいだに、2回ほど訪れていたように思える。

ひとつは、Iさんとのやりとりから生まれた議論の展開である。結果的に長時間をかけて行われたIさんとの質疑応答は、同時に、私たちがIさんという男性の人生や価値観にふれることができた過程でもあった。例えば、Iさんが有名化粧品会社の開発職をリタイアしてから湯梨浜へ戻ってきた方であり、統合失調症を抱えるご家族のケアにもあたってこられたご経験があることなどだ。

こうした背景を持つIさんの観点と、20代前半の学生たちによる報告がぶつかることで生まれる議論は、必然的に世代的な経験の違いを大きく浮かび上がらせることになった。興味深かったのは、これが単なる世代の違いに回収されずに、全く異なるように思える両者の経験に共通する世の中の動きを浮かび上がらせようとする議論に至れたことである。

例えば、リカちゃん人形のフォルムが時代ごとに異なるという話題をきっかけに、それが化粧やファッションやアイドルであっても、はたまた宗教やホームレス、狂気やセクシュアリティ、ひいては地球それ自体への認識であっても、「にんげんの求める対象の在り方が、時代ごとに異なった様相を見せているのではないか」という議論にまで至れたことは、この分科会のとても重要な気づきであったと思う。それはこの場に持ち込まれた多様な研究関心が、世代差とともに語られていくことによって生まれた、「にんげん」の営みそのものに対する立派な仮説であるだろう。

もうひとつは、当日、飛び入り参加されたSさんによる「自分にとって本当にちかい言葉で会話すること」という報告が伝えてくれた、言葉選びへの態度である。Sさんは「20代半ばくらいまで、なるべく自分の本音や意見を言わず、まわりの人が求めているように感じることを勝手にくみとって選択して行動していたら、ずいぶん混乱した気持ちになった」という。そこから「自分自身に無理がなく、快適である為に自分の言葉で話そう」と決意したという。具体的には、親しい友人や旅先で会った人に手紙を書くことを日課にしたり、二人きりで話す機会を設け、「その場で交わす言葉がなるべく正直であるように心がけた」という。その結果、Sさんの至った考察が、次のような「嘘をつく」ことへの考え方に裏打ちされた言葉からの生活観や倫理観であったことは、とても興味深いものだった。

Sさん曰く、「『嘘をつく』ことは、自分自身にストレスとして大きな負荷をかける大きな要因となる」。それは見えないところへ蓄積していき、自分自身を蝕んでいく。だからこそ「自分の心に近い言葉を探して、それを発すること」「自分が本当にはどうしたいのか問い続けながら生活することが重要」だと言う。なぜなら、それが「自分自身にとって、より快適な環境に近づくことにつながっている」からである。

このように「言葉を誠実に選んだら、生き方にもモヤモヤが少なくなっていった」と語るSさんは、ひとつひとつの言葉選びが、人間の生き方、ひいては生活や環境とも連環していると実感をもって伝えてくれた。そして、自分の言葉選びを大切にすることで、「他者と自分の意見は違っていることはとても自然だと気づけた」と言うように、Sさんの気づきは、他者の言葉、ひいては他者の意見の自由に対する倫理観をも伝えてくれたように思える。

こうしたIさんとSさんの議論に触発されながら、互いの興味関心について語り合った学生たちが翌日の「井戸端会議」に向けて考え出したのが、「私とまわりの〇〇〇」というテーマだった。ここで言う「〇〇〇」とは何だろうか。これについて報告者は直接、学生たちにその理由を尋ねたわけではない。

けれども、これらの空白の円には、Iさんとの対話で気づかされた「私」の「まわり」で常に移ろい変わる対象への認識態度や、自分自身の言葉と他者の言葉をともに大切にしたいという、Sさんから教わった生活観・倫理観が確実に見て取ることができる。

翌日、「おでかけ」チームに割り当てられた私は、「井戸端会議」終了間際に法林寺に戻ることになった。上のテーマが記された真っ白な模造紙に現れていたのは、「〇〇〇」という空白の環を通じて浮かび上がってきた無数の言葉たちであり、この場にやって来ては通り過ぎて行った「にんげん」たちの世界に対する認識と関心の多様性そのものであったように思える(写真)。

はたして次回の大会では、どのような「にんげん」像が浮かび上がってくるのだろうか。来るべき2020年の「にんげん研究大発表会」での議論にも大いに期待したい。

(報告:稲津秀樹)

 

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法林寺分科会で語られた「あしあと」