松崎ドラマチック物件ツアー(Matsuzaki Dramatic Tour 2019)」

「それじゃ、いまからはじめまーす!」

2019824日-土曜日の午前10時、松崎は汗ばむほどの暑さだった。この日、ゲストハウス「たみ」に集ったのは、『にんげん研究大発表会2019』に参加する総勢50名ほどの大学生とその教員たちだ。「たみ」に収まりきらない人たちと、その話し声はおのずから室外へと溢れだし、JR松崎駅前に続く通り道は、普段とは違う賑わいを見せ始めていた。とはいえ、このとき到着したばかりの立教大学生たちと、彼・彼女たちを迎える鳥取大学生たちの距離感は、まだ何となくぎこちない。

「それじゃ、いまからはじめまーす!」そこにすっとした声が通りぬけていく。「たみ」を運営する合同会社うかぶLLC代表の蛇谷りえさんだ。朗らかながらも的を射たアナウンスが参加者に伝えられる。なかでも大学教員のわたしに最も届いたものは、「今日からの2日間、先生たちが何を言っても気にしないで下さい!」と、学生たちに伝えてくれたことだった。「誰もが主役になれる」ために、このように「主客をリセット」しながら物事を運ぶ姿勢は(*1)、「たみ」の宿主である蛇谷さんが多くの訪問客とつくってきた構えでもある。

同じく、「うかぶ」の共同代表である三宅航太郎さんからも、このツアーの後には「町への解像度が変わってくるんで」とのひと言が伝えられる。移住者であるご自身の体験や、2回、3回と重ねてきたこの企画への確かな手ごたえから発せられた言葉だと感じる。三宅さんも別のところで、「こんな感覚があるんだ」「そんな考え方もあるんだ」という驚きを忘れない心をもって、ゲストハウスの運営に臨んできたことを語っている(*2)。「町への解像度が変わる」体験が、「ドラマチック」でもあるためには、こうした心の構えに裏打ちされた感覚を持ち合わせることが、きっと重要なのだろう。

このような何気ない言葉にも、蛇谷さんと三宅さんがゲストハウスの運営を通じて築いてきた考え方や感覚を垣間見ることができる。今年もこうしたお二人の実践感覚に導かれながら、2019年夏の「松崎ドラマチック物件ツアー」がスタートした。

 

しんがり」から見えていた風景

まずは「たみ」から旧街道を通って、松崎駅方面へと歩き出す。昨年に続いて2回目のツアー参加となるわたしは、今回は最後尾の「しんがり」役として歩くことになった。先導する三宅さんの「物件解説」を聞くことこそ叶わなかったが、それでもいくつもの気づきを得られたツアーだった。例えば、「しんがり」だからこそ見えてくる風景に、前を行く人たちの後ろ姿がある。松崎の通りという通りを50名もの人たちが歩いていく様に、わたしは終始、眼を見開かされていた。

以前、松崎駅で汽車を降りたとき、このあたりが「松崎温泉」と呼ばれた頃の写真を飾っている小屋を覗いたことがある。そして今、目の前を行く人たちの背中を見つめていると、かつて多くの旅行客で賑わったという往時の松崎に時間移動したのではないかと思わず錯覚してしまう(*3)。往時の松崎と言えば、1938年(昭和13年)当時、松崎小学校で編まれた村内の井戸と風呂の普及状況に関するデータ(*4)を見つけた話をしていたところ、わたしの横を歩いていた「たみ」のスタッフからも、家の中に湧き出る井戸と風呂の話を住民から聞いたことがあるとの話が重なっていく。松崎駅前通りの「湯の華慈母観音」を横目にかすめながら、この町の暮らしには湯水とその湧口をめぐる話が、今も確実に息づいていることを思わされる。

旭区の「麻畑やろばた」まで歩いた一行は、ここで東郷池側へと右折する。すると、ぽかんと開けた空き地と、ここ最近に建てられたと思われる新築住宅がいくつか目に飛び込んでくる。整地された区画に沿ってクネクネと歩いていくうちに、それまで各々がバラバラに広がって歩いていた50人前後の人の群れが、自然と行列になっている。これを興味深く眺めていると、出来たばかりの人の列が早速ブツリと途切れてしまった。

実は、ここで列が途切れてしまうのには理由がある。このあたりの土地は明治時代から昭和初期にかけて段階的に埋め立てられ、そこに東郷池の南岸に沿って走る県道22号(倉吉青谷線)が開通した経緯がある(*5)。よって、松崎駅側から湖岸に歩く人の流れは、湖岸を横目に通り過ぎる車の流れと、ここで十字にぶつかってしまうことになるのだ。

人の歩く速度と、県道を走る車の速度が違いすぎて、思わず軽い眩暈に襲われてしまう。鳥取県と警察のまとめた報告を読むと、実際、ここは人身事故も含めた交通事故が多く発生している路線だという(*6)。そんな県道を無事に渡り切り、再び一列に戻った一行は、最初の「ドラマチック物件」である「小谷家」へと到着する。

 

小谷家の記憶と哲夫さんの記憶

玄関に入ったところで、家主である小谷哲夫さんが出迎えてくださった。「ようこそ、いらっしゃいました」と笑顔で語り掛けて下さる哲夫さんに、こちらもご挨拶を交わす。玄関には段ボールを切り抜いた等身大サイズの山羊がおり、「伊勢湾台風の記憶」と題された文書のコピーが一人一人に配られた(*7)。「どうぞ、もってってください。このあたりまで浸水したんです」と(写真1)、柱をさしながらお話される哲夫さんの表情は真剣そのものだ。この家に刻まれた記憶を知ってもらいたい、という気持ちが伝わってくる。最後に家の敷居を跨がせて頂いたわたしは、他の参加者よりも詳しくお話を伺う機会にめぐまれた。

 

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浸水時の状況を伝えてくださる小谷哲夫さん

伊勢湾台風が松崎を襲った1959年当時、哲夫さんは小学校5年生だった。上記の埋め立てが行われた松崎駅付近から、旭区にかけてはほぼ全域が冠水し、小谷家も床上30cmくらいまでが浸水被害に見舞われたという。このとき哲夫さんのご両親とご兄弟のみならず、近隣住民を含む計3所帯が、小谷家の2階でしばらく合同生活をしていた。だが、当時飼っていたメスの山羊(メル)だけは2階に連れて行ってやれず、梨の木箱でつくった段差の上で急を凌いでもらっていたという。また、この時の避難生活から、哲夫さんご自身も破傷風にかかってしまい、麻酔のない中で膿を絞り出された傷痕が今も残っているとのことであった。このように台風被害は小谷家だけでなく、哲夫さんご自身の身体にも刻まれている。小谷家の家屋の記憶は、哲夫さんご自身の身体の記憶でもあるのだ。

このときの経験から、小谷家の家屋はコンクリートの基礎部分を1mほどかさ上げするのみならず、家屋の壁面部分に簡易水道管を通し、2階からも水のくみ取りができるようにした。実際、これらの対策は杞憂に終わらず、その後も1987(昭和62)年、1990(平成2)年と、繰り返された台風による浸水被害の折にも役立ってきたという

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家屋のかさあげ部分と壁面に這わせた簡易水道

 

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写真裏面に「S.62.10/17 台風19号 自宅2階より南側を望む」とある。(提供:小谷哲夫さん)

他にも小谷家の中庭に咲いた五つ葉のクローバーのこと、畑から刈り取ったばかりのパンパスグラス(シロガネヨシ)の束を生け花用にこれから届けに行くことなど、小谷家と哲夫さんの「ドラマ」は続く。ひとつひとつのお話に聞き入るあまり、「しんがり」どころか、ツアーの列からすっかり切り離されたことにようやく気付いてきたわたしは、お話を一区切り終えられた哲夫さんにお礼を告げ、小谷家を後にした。

 

「これまで」と「これから」交わり合う「この町の営み」

「松崎地区にある地域住民が集う拠点やお店、家の中までもまちあるき。この町の営みを覗いてみましょう」。この日、配布されたパンフレットに記された説明に違わず、このツアーでは遠慮なく、個人の家の中、お店の中を通り抜けていった。小谷さんの「家」を後にした一行が次に出会ったのは、何かしらの「お店」であり、「拠点」であったわけだが、その中身はどんな人が、どんな建物で、どんな営みをしているかによって大きく異なっていた。その足取りは、この町の「これまで」と「これから」が交わり合う様子が垣間見える歩みだったように思える。

わたしが合流したとき、既に一行は、海鮮丼でも有名な老舗の河本魚店と湖畔公園を通り抜けた後だった。あれだけ目立つ人の列がいなくなると、住宅街はあっという間に普段の落ち着きを取り戻している。早足に追いかけるうちに、湖岸のカフェ「HAKUSEN(ハクセン)」の入口に溜まる人の列を見つけて、再び「しんがり」に戻る。そうして店の中でコーヒーに溶けていくミルクのような渦の中心にいた三宅さんを見つける。果たしてどんな物件解説をされているのだろうと思っていると、すれ違いざまに聞こえてきたのは、「おっしゃれ~」との一言だった。「おしゃれ」なのは、もちろんわたしのことではなく、淡い白色を基調としながら湖岸に佇む、このカフェの「都会チック」な雰囲気を指してのことだろう(*8)。

このとき三宅さんの後ろには東郷池の水面が拡がっていた。いや、三宅さんだけでなく、このカフェそのものが東郷池に浮かんでいるかのように思えたのだ。よく目を凝らしてみると、このカフェの建物の湖側には壁がなく、全てガラス張りのつくりとなっている。水面の輝きがいくつもの大型ガラスを通して乱反射しながら、カフェの室内をより明るく照らしている。それは猛暑のギラギラとした日差しをキラキラとした煌めきに変えてしまうような、空間のマジックを体験しているかのようだった。かつて東郷池には、龍湯島という湖中に浮かぶ入浴施設があったと言われているが(*9)、水面に浮かんだ島の中で湯につかるという体験にも、こうした奇術的な空間感覚が伴っていたのだろうか。

HAKUSENを後にした一行は、湖岸工事の現場を歩きながら、2018年に開業したばかりの朴訥(ぼくとつ)という古着屋に到着した。店舗はもともと歯科クリニックとして使われていたそうだが、病院をイメージする無機質な感じはなく、むしろ、縁側のある中庭が逆に柔らかな印象をもたらしていた。暑い日差しを和らげてくれる緑の木陰に入ると、ほっと息がこぼれる。縁側からそのまま屋内に上がりこみ廊下を抜けると、かつては待合室であったろうと思しき空間に、ずらりと並んだ衣服たちが目に飛び込んでくる。古着とは思えない衣服の清らかさと鮮やかさに、思わず手を伸ばしたくなる。すると窓口(レジカウンター)の中の店主さんが目に入り、「ありがとうございました」とご挨拶したと思いきや、またすぐに県道へ出てしまった。

あまりにも一瞬すぎる朴訥の世界観との邂逅に、ここは一体何だったのだろうかと、思わず後ろ髪を惹かれてしまう。古いものを資源としながら、そこに新しい価値を与えていく営みと言ってしまえば簡単だが、朴訥のWEBLOGには、そんな表面的な解釈ではまとめようのない開店までの思いや苦労の一端が記されていたりする(*10)。

朴訥を後にした一行は、今度は松崎駅側へと県道を渡りなおす。先ほどと同じく、ここでも列が途切れてしまう。「寿湯」という銭湯のある通路のところで、わたしを含めた「しんがり」の面々が再び合流する。その路地を通り抜けると、ツアーのスタート地点である、「たみ」から松崎駅前へ続く旧街道に戻ってきた。と思いきや、今度はすぐさま「たみ」の並ぶ町屋の裏口側へと回り込み、建物の土台がむき出しの空き家に入り込んでいく。

暗がりの中、列の先を行く人たちから口々に伝えられたのは、ここもどうやら、移住者が近々開業するお店であるとのことだった。かつて化粧品屋として親しまれた建物が、年内をめどに美容室へと生まれ変わるらしい。この店をはじめ、「たみ」が2012年に開業してからというものの、HAKUSEN2015年)や朴訥(2018年)といった移住者の店が松崎駅周辺に集まりだしているという。いつかどこかで誰かと話した、そんな話題が思い出された。

 この日、一行が最後に訪れた「汽水空港」もそうしたお店のひとつだ。汽水域である東郷池にちなんだ古書店であり、東日本大震災後に関東から移住してきたモリテツヤさんが、文字通りのDiYによって建物を一からつくりあげ、開店にこぎつけた経緯を持つ場所である(*11)。モリさんは昨年の「大発表会」の折にも、汽水空港という場所がもつ「幅と揺らぎ」について語ってくれたが(*12)、今回話してくれたのは「Whole Crisis Catalogをつくる」という取り組みのことだった(写真4)。これは20197月の参議院議員選挙を前に、町内外の老若男女が集まってお互いにとっての「困っていること」(危機=Crisis)を語り合う・伝え合うことから、等価交換・贈与経済の先までを展望しようとする試みだった(*13)。

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『Whole Crisis Catalog vol.1』の表紙

 モリさんは、一人ひとりの抱える危機を話し合った体験を通じて生まれてきた変化に加えて、これからは「アジアからやさしさを輸入したい」とも語ってくれた。「輸入」という言葉選びに、この店舗が単なる古書店ではない、「空港」でもあることへの感覚が伝わってくる。危機を嘆くばかりでなく、危機を超えるために必要な「やさしさ」を求めて、いよいよ東郷池とアジアを結ぶフライトが「就航」することになるのか。仮に来年の「大発表会」が開かれる頃には、ここはどんなふうになっているのだろう。いや、汽水空港だけでなく、どんなHAKUSENや朴訥と、そしてまだ見ぬ美容室と出会えるのだろうか。この町に移り住む人たちの営みは、「これまで」の「町の営み」と確実に交わりあっていく。それは同時に、変わりゆく「これから」の松崎の姿を、私たちに垣間見せてくれていたように思える。

 

うなぎになって「世界を横断しよう」

汽水空港で話し込むうちに、時間は12時をまわっていた。既に解散したツアーの一行は、各々に「たみ」に戻ってランチタイムを過ごしつつ、午後からの分科会準備に向かったようだった。13時からの分科会開始まではまだ間がある。「しんがり」の見守り役から解放されたわたしは、路地をふらふらと彷徨っていた。歩きながらふと考える。先ほどまでわたしの目の前に現れて、松崎の路地を埋め尽くしていたあの列は何だったのだろうと(写真5)。

 

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松崎の路地を行く「ドラマチックツアー」参加者の列

 

同時に、汽水空港の直前に訪れた「梅屋」と「佐藤会席」での体験を思い出していた。これらは「商店と自宅と作業場が一つに繋がっている」ことで「暮らす場所と働く場所がいっしょ」になった「うなぎの寝床」と呼ばれる建物としても知られている(*14)。上の写真の路地よりも細い幅の入り口をくぐると、大人一人がやっと歩けるくらいの通路が続いていて、一行の列は文字通り「うなぎ」のように押し込められていった。加えて、上を向けば晴れ渡る空を見ることのできる路地とは違い、天井と壁と床に囲われ、昼間でも暗がりになっている通路は、それ自体がまさに「寝床」のようであった。

この「寝床」を通り抜ける最中も、「物置」であったり、「居間」であったり、「キッチン(作業場)」であったり、「店舗(拠点)」であったりと、目の前に現れる空間が数メートル置きに変化を見せてくれた。HAKUSENとも違うかたちで展開する空間の奇術に、前を往く参加者たちの感嘆する様子が、「しんがり」の方にまで伝わってきた。住宅街の区画に沿って浮かびあがった人の列が、HAKUSENでコーヒーに溶ける「ミルク」のようになったときや、未来の美容室で「伝言」を受けたときに感じられたことが何だったのか。梅屋や佐藤会席を通り抜けるくらいから、それに名前と形があってもよいように思えてきた。

実は、私たちは松崎の路地を歩きながら、「うなぎ」になっていたのかもしれない。それは私たちが個と個の間のぎこちなさを残しながらも、まるで一体の生き物のように動いていくことで、町への感覚変化が得られた体験だったと言えるのではないか。例えば、梅屋と佐藤会席を続けざまに通り抜けると、ここが「家」であるとか、「お店」であるとか、「拠点」であるといった既成の言葉(概念)で予め分けることが困難なほど、これらが混然一体となった世界観が「うなぎの寝床」の生活にはあるように思えた。これは汽水空港に入る直前に、梅屋のおかみさんとお話したときに気づかされたことでもある。

おかみさんは、「昔はこの狭いところを行ったり来たりしながら、おもちゃを運んでいたんですよ」と、「寝床」から出てきたわたしに話しかけてくれた。「家」でも「店」でも「拠点」でもなく、「この狭いところ」としか言いようのない感覚、それが「うなぎの寝床」で暮らすことの空間感覚なのかもしれない。お話をしながら、昨年のツアーの折には、梅屋の2階に居た移住アーティストさんのアトリエを訪れたことを思い出す。おかみさんに尋ねたところ今その方はヨーロッパにおられて、ここにはお住まいになられていないらしい。

「仕方がないけど、さみしいわあ」と語るおかみさんだが、この文字通りのアーティスト・イン・レジデンス(A.I.R.)のドラマが教えてくれるのは、ここでは個人の所有物のように思える家屋でも、他者との共有が当たり前のように行われているという事実だ。それは他者をここに招き入れると同時に、ここから押し出してもいく、まさしく「うなぎの寝床」がつくりあげている営みと言えそうだ。

このドラマは上に記してきたような、伊勢湾台風時の小谷家での共同生活の逸話や、最近の移住者たちの世界観に見られる「この町の営み」にも通じるようでもある。ツアーの開始前に三宅さんが仰っていた「町への解像度が変わってくる」という体験とは、こうしたひとつひとつの物件にまつわるドラマを生み出す、松崎という町の営み、そのものに気づいていくということなのかもしれない。

そんなことを考えながら、ふらふらと「たみ」に戻ってきた。午後からはじまる分科会の確認を兼ねて、配布されたパンフレットを手に取ると、今年の「にんげん研究大発表会2019」のテーマが、「人間の脱分断-『あしあと』に耳を傾け、世界を横断しよう」であったことを改めて思い出す。パンフレットには次のようにある。

 

私たちが生まれる前からある町並み、お店や商品。歩くと出会うこの町に暮らす人々。これらは近いようで遠い存在であり、誰かが歩んできた「あしあと」でもあります。耳を傾ければ、小さな物語に触れることができ、無意識に分け隔ててきた時代や地域の壁を飛び超え、過去のものを現在、未来へとつなぎとめることができるでしょう。

 

このとき、「あしあと」に「耳を傾け」ながら「世界を横断」している「私たち」とは、いったい何者なのだろうか。興味深いことに、パンフレットの文章には、ここで言う「私たち」が「人間」であるという記載はない。実際にツアーを終えてみて、このテーマについて考えたとき、こうした「うなぎ」のように「人間ならざるもの」への感覚変容を経由することで見えてきた世界観に、「人間の脱分断」へのヒントが隠されていたように思える。ツアーの冒頭、わたしを含めた参加者に行程図が配られたとき、それは文字通りの「人が歩くための地図」にしか見えなかった。だけれども、今これを見ると松崎の町に放たれた「うなぎのあしあと」のようにも見えてくるから不思議である

 

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この日配布された「Matsuzaki Dramatic Tour2019」の行程図(一部加筆箇所あり)

 路地という路地にウネウネと入り込み、ヌメヌメとした粘りをもって、地図上の点と点を、人と人を、ひとつひとつのドラマと風景を、「町」という集合体として結びつけていく「うなぎになること」とは、そんな「私たち」の集合行為から生まれる想像力を示してみたメタファー(隠喩)である。だが、それはまだ一参加者としての独りよがりな解釈に過ぎない。だからこそ、わたしは他の参加者にとっての「町への解像度が変わる」体験がどんなものだったのかを、ぜひ聞いてみたいと思う。そもそも「うなぎの寝床」とは何なのか、「うなぎになる」ことで見えてきた世界観とはどういうものなのかを、「にんげん研究会」で深める機会があっても面白いかもしれない。今回の「松崎ドラマチック物件ツアー」を通じて出会った、さまざまな「あしあと」が教えてくれた、他ならない「私たち」への問いかけとして。

(報告:稲津秀樹)

 

 

1:ヘメンディンガ綾、2014「移住先は何もないところがちょうどいい!和紙ピアス

 から山カレンダーまで、鳥取に潜む良さを発信する『うかぶLLC』」https://greenz.jp/ 

2014/07/18/ukabullc/ (201991日閲覧)

2朝日新聞2016「とりどり 三宅航太郎さん」『朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/ area/tottori/articles/MTW20160517320680001.html 201991日閲覧)

3東郷町1987「松崎温泉と旅館創業」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_ 

history2/default.htm  (201991日閲覧)

4東郷町1987「井戸と風呂」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_history2/

2hen/4syo/02020108.htm (201991日閲覧)

5東郷町1987「湖岸道路の新設」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_ history2/default.htm (201991日閲覧)

6鳥取県、作成年不明「平成29年度中交通事故発生状況(東伯郡湯梨浜町東郷校区内)」

https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1018182/tougou74.pdf  (201991日閲覧)

7:天神川流域会議編、2019『あれから60年昭和34年(1959年)台風15号天神川流域伊勢湾台風の爪痕』国土交通省倉吉河川国道事務所調査設計第一課発行.

8:とっとりずむ、2017「[HAKUSEN(ハクセン]東郷湖の景色を一望!鳥取にいること

を忘れてしまう都会チックなカフェ。-湯梨浜町https://tottorizumu.com/hakusen/2019

91日閲覧)

9東郷町1987「龍湯島のこと」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_history2/2hen/4syo/06010200.htm (201991日閲覧)

10:朴訥、2018「お知らせ」http://www.bokutotsu.com/2018/05/201991日閲覧)

11:池田遥、2018『「自分らしい表現」とはどこにあるのか鳥取県湯梨浜町松崎にある小さな古本屋『汽水空港を事例に』』鳥取大学地域学部地域政策学科2017年度卒業論文

12:稲津秀樹、2018「分科会『アートについてin汽水空港』報告」http://ningenkenkyuukai.hatenablog.com/entry/2018/10/03/150556201991日閲覧)

13:汽水空港、2019「『Whole Crisis Catalogをつくるvol.1』の報告」https://www.kisuikuko.com/app/Blogarticleview/index/ArticleId/12 (201991日閲覧)

14:蛇谷りえ、2018「にんげん研究大発表会2018<報告まとめ>」

http://ningenkenkyuukai.hatenablog.com/entry/2018/10/04/124108 (201991日 閲覧)

 

分科会「芸術と社会」in Smooth

「井戸端会議だから発される言葉がある」という企画趣旨のもとに始まった、にんげん研究大発表会2019。「井戸端会議」とは、集まった学生や参加者の方々が、会場ごとに与えられたテーマをもとに意見交換していくというものであった。その会場の一つとなった、メキシコ料理店兼ライブハウスの「スムースSmooth」では、「芸術と社会」をテーマにそれぞれの研究関心を通じて7人の発表者が集まった

 

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1つのテーマで集まったのはいいものの、研究関心の方向性が全く異なる7人。研究テーマも、音楽アウトリーチ活動、タイポグラフィ、路上パフォーマンス、エンタメトラック企画の提案などの芸術活動や、ダークツーリズム、アートの公共性、サステナビリティなど、それぞれ異なる大きなテーマであった。はじめに私たちは、全く異なったこれらのテーマをもとに、模造紙にテーマごとのキーワードをポストイットしながら、それぞれのテーマが内包するワードをより細分化していった。そうすることで見えてきたのは、テーマだけで見ると関連していなさそうな研究の間にも、例えば「一回性」といったキーワードでは繋がるところがあるということであり、さらに話し合うなかでは、それらキーワードと反対の意味を持つキーワードも見えてきた。このように研究テーマを細分化することで新たに生まれたキーワードを、類似するもの、反対または対立したところに位置するものとして、模造紙の中にいくつかの「島」を作りながら、再分配していく作業を続けた

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「井戸端会議」であるから、発表というよりは駄弁るというイメージ。ゆえに、研究テーマやキーワードから派生して、他の会場から訪れた人の考えや、他の会場から持ち寄った話題を織り交ぜながら、自由連想のような形で話は進んでいった。なかでも、移動式エンターテイメントや路上パフォーマンスなどの研究から派生して出てきた「一回性」と「自己満足」の二つは、特に議論されたキーワードであった。移動式エンターテイメントや路上パフォーマンス、音楽アウトリーチ活動など、アーティストを介するものには、「一回性」と「自己満足」が、常に付き纏う言 葉のように思われたためである。一回性の芸術、例えばライブでは、人々は一緒に行く友達を誘って、チケットを買っていく。YouTubeなどの動画配信サービスやライブ配信ツールなどを利用することでわざわざ足を運ぶことなく、音楽を聴くことができる時代に、改めてわざわざ足を運ぶ意味とは何かを私たちは考えてみた。実用性ではない「第三の価値」が、そこにはあるのだろうか。あるいは、アーティストについて考えてみるとわかりやすいと思われるが、人々は、一から自分で作るということに何か価値や魅力を見出しているように見える。彼らは、実用性や効率性から離れたところにある、無駄なもの、必要じゃないものに意味があると信じたいのかもしれない。このような駄弁りを通じて、「一回性」と「自己満足」をめぐる議論が交わされていった。

 

自らがパフォーマーとして活動する人が多い私たち「芸術と社会」チームに対して、他のチームから興味深い指摘を受けた。パフォーマーであるのに、自分の感情より意外にも「社会」に目を向けて研究しているという点である。言われてみれば、1日目の「芸術と社会」チーム内の井戸端会議の中でも、「これを載せたら自分がどう思われるのか」といった視点や、「どうやったら世に出られるか」などの発話が多く、また、「自己満足」というキーワードが出たように、パフォーマーとしての行為が自己満足になってはいないかという、言うなれば「社会の目」のようなものを、私たちは気にしているようにも思われた。

異なる環境で生まれ暮らし、出会う人や目に映る景色も違う人々がそれぞれの興味関心を通じて新しい出会いなどの体験をした「井戸端会議」。考えたこともないようなテーマや生きること、死ぬことなどの大きな人生のテーマまで、すぐに言葉にはできず、もやもやとすることもあったかもしれないが、その中で疑問や関心ごとが生まれる瞬間を体験できたかもしれない。普段学んでいる環境から少し離れて、「知識」が前に出ず、よりフラットな関係で話すことのできる時間になったと思う。

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(文:武田夏歩、編集協力・写真・オブザーバー:小泉元宏)

 

オブザーバー:小泉元宏のコメント

本分科会は、立教大学4名、鳥取大学2名、国際基督教大学生1名の7名によって構成されていた。ただし立教大学生と鳥取大学生の多くも、それぞれに学部や学科、所属が異なっており、「芸術と社会」という括りのなかでも、さまざまな関心を持った発表者が参加していた。発表や議論では、参加者相互の研究関心の関係性を捉えながら、キーワードを挙げることを通じて、自己や社会の新たな一面を探索的に発見することに多くが費やされていた。上記の文章における、「出会う人や目に映る景色も違う人々がそれぞれの興味関心を通じて新しい出会いなどの体験をした」という一文にも、そのことの一端が示されていると言えるだろう。また本分科会は、メキシコ料理店兼ライブハウスである「スムースSmooth」の2階を拠点としながら展開した。魅力的な絵や装飾を伴う屋根裏部屋のような佇まいを持った空間だからこそ広げることができた想像や議論があったようにも思われる。課題としては、部屋の使い方に関して事前に十分な打ち合わせができていなかった点が挙げられる。部屋の中に立てかけてあった木製のテーブルをマジックを用いながら筆記のために使用させていただいたところ、オーナーからインクの裏移りの可能性があるため使用を控えるよう注意があった。グループメンバーも事前に裏移りに配慮しながら慎重に使用していたとはいえ、あらかじめ部屋の使用に関するルールを丁寧に確認しておくことが必要であったと思われる。

このような普段とは異なる想像力の回路を働かせる機会は、たとえ一見すれば荒唐無稽であったり、ともすれば偏ったりしているように見えるアイディア出しが多くを占めたとしても、主流的な見方や考え方を転回させていくための萌芽となることだろう。参加者が、この機会に得た気づきを、今後の研究はもとより、自身や自身をめぐる生、あるいは社会に対する見方、切り取り方に生かしていくことを期待したい。

 

分科会「まちづくりについて」inどれみ  

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 松崎駅から「たみ」に至る道程の途中にある「どれみ」。住民の健康サポート、観光情報の提供、移住・定住、職業相談の機能を備えた平成
304月にオープンしたばかりの新しい施設である。本分科会では、岸野祐二郎リーダーのもと、鳥取大学生2名、立教大学生5名の計7名の発表が「どれみ」で行われた。

 本分科会は、「まちづくりについて」を大きなテーマとして組織されたが、「伝統工芸」「道の駅」「商店街」「謎解きイベント」「演劇」「祭り」「現代美術」と個々に扱っているジャンルはさまざまであった。そこで交わされた議論は以下のようなものである。第一に、「まち」に人々の関心をどのように持たせることが可能か、という問題である。都市部と田園地帯、郊外や地方都市など、それぞれの発表で対象とした「まち」の条件や抱えている問題はさまざまであったが、「まち」に対して関心を持たせることは、いくつかの発表において共通の問題として浮上した。「越前漆器」や「しゃんしゃん祭り」といった伝統文化を用いた事例を分析するもの、また、「演劇」や「現代美術」などアートを活用とした事例を分析するものなどがあった。前者では、伝統文化に対して若者たちがどのように関心を持ち、彼らを引き込む仕組みをつくることが出来ているかという点が議論された。そして、後者では、「演劇」や「現代美術」が持つ「前衛志向」と、「まちづくり」のために求められる「わかりやすさ」との葛藤が議論された。

二つ目に、「まちの再発見」という問題が議論された。「謎解きイベント」は、「リアル脱出ゲーム」などのように、それぞれが主人公となり謎解きを体験するイベントだが、今回の発表で紹介されたのは、謎解きを通じて実際の「まち」を歩き回るイベントである。第一の議論ともつながるが、実際のまち歩きを通じて、新しい「まち」を知る導入にもなるし、すでに知っている「まち」を再発見する効果もある。リピーターを獲得することの難しさという課題も挙げられていたものの、アニメ聖地巡礼ポケモンGOによる「まちの再発見」などと比較しても、運営側がより主体的に仕掛けることが可能な点において「まちづくり」としての可能性があり、別の「まち」にも応用可能な事例として前向きに議論された。

 三つ目の議論として、人々が集まる場所をいかにつくることができるか、である。田園地帯の「道の駅」や都市部の「商店街」がその事例である。前者は、都市と都市を結ぶ交通の要所ではない場所の「道の駅」を事例に、農産物の販売を通じたコミュニティの形成について語られた。後者は、全国的に空洞化がすすむ商店街のなかで、現在も活気のある「ハッピーロード大山商店街」を事例に、13都市と直接契約によって商品を集める「とれたて村」など独自の試みが紹介された。ひとびとの集まる場所の創出は、本分科会に共通した問題でもあり、他地域の事例との比較を通じた議論が交わされた。

 翌日の井戸端会議を通じて、本分科会は「まちづくり」というよりも「人とまちとの関わりあい」に焦点が当てられた発表が多く、その中で「地域資源」を「再利用」や「再発見」するものと、外部から「新たな資源」をもたらすことで地域の活性化を試みるものの二タイプあるとまとめられた。いずれの発表も、主催者への取材や参与観察を行ったものが多く、文献資料からは把握できない情報を含む点において有益であった。一方で、先行研究を踏まえ、理論的なフレームをより意識することで、事例紹介にとどまらない分析や考察へと至ることが今後の課題といえるだろう。初日の発表会では、地元の一般参加者からも発言があり、松崎で10年続く朝市「三八市」についての紹介があった。「まちづくり」をテーマに研究する学生たちと地元住民が、松崎の「まち」について語り合う貴重な機会となった。(報告:筒井宏樹)

2019年12月18日 にんげん研究会レポート

20191218日。午後7時から鳥取大学内にあるコミュニティ・デザイン・ラボで「にんげん研究会2019 地域社会の記憶と文化のためのメディア・プロジェクト成果発表会」がありました。」

約1年ぶりのにん研。(確か昨年は12月で最終回だったような)たった9カ月前に佐々木研究室を卒業したばかりですが、自分がいた頃とは雰囲気が変わっていて、会場に到着した直後は少し戸惑いました。にん研のメンバーだった頃は、レポートを担当していたのですが、今ではメモをとることすら忘れてしまっています。最近考えることや記憶することを極力省いているせいでしょうか。頭の回転が著しく悪くなっているのを実感しました。今日聞いたひとりひとりのメンバーの発表への感想は分かりません。「ありません」というか、なんだか「分かりません」。

これはメンバーだった頃から感じていることですが、にん研に行くと自分自身が浮かび上がってきます。蛇谷さんや五島先生、佐々木先生に自分の話をしていると、話すはずのなかったことまで口に出てしまいます。そうすると頭の中で考えていたことが、相手の表情や切り返しによって客観視できてしまうのです。だから学生時代はにん研から帰るといつも反省や後悔ばかりしていました。今日もそうです。少しは大人みたいに物事を俯瞰して見られる立場になったかと思いきや、やはり自分に自信がなくて、終始あたふたしている「自他ともに認めるピュアボーイ」のままでした。

ビデオコメントでは言うのを忘れてしまいましたが、三原屋さんについての発表も聞いていて心地よかったです。

今回のプロジェクトで、皆さんそれぞれが自分の表現媒体を模索して、これまでの成果を落とし込んだのだと思います。僕は考えることが出来なくなってしまったので説得力がありませんが、人に伝える媒体が自分の中で選択・確立できていることは財産だと思います。写真や映像、絵やデザイン、テキストでも演劇でもトークでも、上手く伝えられるかどうかは後回しにして、「これを使って伝えたい」という媒体を考えられることがこのプロジェクトの魅力かもしれません。

ただ、しつこいようですが、元にんげん研究会コアメンバーとしては、媒体を統一することで制約やストレスを少しだけかけて、それぞれが試行錯誤した結果を互いに共有し、発見を経て還元し合うというプロセスを是非楽しんで欲しいと思います。

3人でいた場所が無くなってしまったようで少し寂しい気もしますが、にんげん研究会の更なる発展をお祈りしております。(笑)

鳥取大学卒業生・むらかみ

2019年12月18日のにんげん研究会参加者の声

今回のにんげん研究会は、これまで約半年間の時間をかけて各自がインタビューしてき

た有名ではない人についての最終発表の場でした。にんけんメンバーが各々違う方法で自由に発表し、観覧者としては「自分が知らない人について他の誰かを介して知る」という不思議で新鮮な体験ができたことだと思います。アンケートにも発表内容そのものについて書かれているものが多く、有意義な時間となったのだと感じることが出来ました。

 にんけんメンバーからはこの半年間のにんげん研究会における活動についてのコメントも寄せられました。定例会の際にグループごとに分かれることでしっかりフィードバックがもらえてよかったという人がいました。しかし、逆にグループごとに分かれると全員の発表が聞けず悲しいという意見もありました。月に一回の定例会の在り方を、開催場所や移動手段等を含めて再考する時期に来たのかなと感じます。

 2019年の人間研究会の活動を通して、今後のにんげん研究会に活かせる反省点や改善点も多数挙げられていました。まず、欠席時にその回のフィードバックや次回の連絡等が回ってこず困ったという意見がありました。また、各係が機能しきれていない点や係間での仕事量の差が指摘されていました。これらの意見から、にんけんメンバー間での情報共有や情報提供の徹底、個々人の役割や係の見直しを図っていくべきだと考えられます。

 最終発表の雰囲気はとてもいいものだったので、来年以降のにんげん研究会も同じような雰囲気でにんけんメンバーには望んでほしいです。また、金川さんや今林さんをはじめとした一般参加の方々の視点や意見も、にんけんメンバーでは気づけないものが多かったので、そういった所も今年以上に活かしていければなぁと思います。

2019年10月23日のにんげん研究会レポート

10月23日、湯梨浜町松崎にあるゲストハウス「たみ」でにんげん研究会(以下、にんけん)がありました。今回は、蛇谷りえさんと鳥取大学の学生・教員に加え、ゲストリポーターの金川晋吾さんが参加してくださりました。

 はじめに、ゲストリポーターの今林由佳さんと金川晋吾さんが以前にんけんに参加されたときに感じたことを映像にしてきてくださりました。今林さんは、撮影禁止である「たみ」をイラストでその場の雰囲気を、金川さんは、何かその場を表す言葉を当てはめるのではなく、感じたことそのままの言葉で伝えてくださりました。お二人が伝えてくださったことは今後のそれぞれの活動に活かされていくと思います。

 今回は、これまでのインタビューをかたちにする発表に向けた進捗報告を前回まで同様「グー」「チョキ」「パー」の3グループに分かれて行いました。以下は、私が参加したグループで行われた話です。

ある人は、社会に出る前の大学生の揺らぎやすさを伝えたい、と今就職活動真っただ中の友人にインタビューをされていました。風景映像に音声を重ねた映像で、ちょうど5分で終わるというこだわりがあり、その話題で盛り上がりました。インタビューした人の個性が質問に表れていたり、そのままのインタビューが聞けて2人の関係性がみえる空気感も感じられたりすごく楽しい発表でした。また、お世話になっている先生にインタビューした人もいました。パワーポイントで内容がぎゅっと濃くまとめられており、上手なレイアウトで視覚的にも分かりやすい発表でした。その中にインタビューをして感じたこと、考えたことを交えていて、その先生について+その人からみた先生についても知ることができる発表ですごく面白い発表でした。先生の見た目や雰囲気についてももっと知りたいとの声も上がりました。他にも、身近な人ではなく、まだ関係が全くない人にインタビューしようと勇気を出して頑張っている人もいました。一度インタビューを断られてしまい、次の一歩が重たくなってしまったみたいですが、その葛藤をそのまま何かしらの表現でみせてもらえても面白そうだという意見も話し合いの中で出ました。本番どのような形になるかまだ分からず、これからどうなるのか楽しみです。

 最後に全員で集まって、最終発表会をどのように行うのか意見を出し合いました。大学で行うことで時間や場所を多く使えるのではないか、「発表コーナー」「映像コーナー」「その他コーナー」で分かれるFesっぽい感じはどうだろう、話したい人だけ自分の展示の前に残って…でもそれじゃ語りが面白い人が回れないし、見る側の負担が大きいかも、発表が好きじゃない人も聞く側も心地よくが第一、感想を付箋で残せると嬉しい、記録を残したい、無理に残さず記憶、語りで残るのも…いやそれでいいのか、などたくさんの良い意見が出ました。発表するときは、3つトラブルが起きても大丈夫なものづくりを、アウトプットまでが作品だ、とアドバイスもいただきました。

 次回のにんけんでは、「発表コーナー」「映像コーナー」「その他コーナー」の3つのグループに分かれて、熱量はどんなものか、予行練習を行います。そして、ゲストリポーターの今林由佳さんも参加してくださります!よかったらぜひお立ち寄りください。

2019年11月20日にんげん研究会のレポート

11月20日湯梨浜町松崎にあるゲストハウス「たみ」でにんげん研究会(以下、にんけん)がありました。今回は、蛇谷りえさんと鳥取大学の学生・教員に加え、ゲストリポーターの今林由佳さん、そして筑波大学4年生の阿部さんがゲストとして参加してくださりました。

前回ににんけんにゲストリポーターとして参加してくださった金川晋吾さんが、感じたことをゲストリポートとして文章で伝えてくださりました。金川さんが感じたことが、悩んだことも、個人的なこともそのまま紙に書かれていて、文章を読んでいる、というより金川さんと会話しているような気分になれました。それから驚いたのが、今日の意見交換の中で今林さんが感じられたことと似たようなことを金川さんも感じておられたということです。「発表者の存在」が私たちの発表の多くでぼんやりしており、そこも聞きたい部分なのだとお二人の意見から感じました。

今日は、次回(12月18日(水))に行われる発表会に向けた中間発表でした。一番伝えたいことを伝えられる発表形式を模索している人や今のままの表現で良いか悩んでいる人、一つに定めずにいろんな媒体で準備をしてきた人など、進行状況も悩み方もみんなそれぞれでした。発表形式は、いつものようなランダムではなく、今回は「映像・パワポグループ」と「その他グループ」に分かれて行いました。

私が参加した「映像・パワポグループ」では、「映像作品」としてまとめようとするあまり、自分がその人に出会ってインタビューを重ねて、感じた気持ちがなかなか入れ込めずにいる、と今林さんが発表を聞いて見て思ったことを伝えてくださりました。そこから、自分の映像はどうだろうかと悩んだり、自分の感じたことを入れ込むとはどういうことなのか質問や考えを伝え、その言葉の意味を掴もうとしたり、と議論が盛り上がりました。ひとつひとつの発表に対する意見交換も盛んで、あっという間に時間が過ぎました。同じプロジェクターを使った発表でも、パワポ、紙芝居(パワポ芝居)、映像とさまざまで、また、映像の中でもそれぞれに個性があり、発表形式を何一つ限定しなかった面白さが発揮されています。

それぞれのグループでの話し合いを終え、今度は全員集まって「本番いろいろどうするのか」について話し合いました。前回までに同じ話はしてきましたが、場所も発表形式もその後の忘年会についても何も決まっていません。いつもより人が少ないとはいえ、みんなが帰る汽車の時刻までにすべて決めて、役割分担までできるのか…と不安でしたが、意見をぶつけ合ってくれる人、懸念事項を挙げてくれる人、代替案を挙げてくれる人、もっといい案を考えようとしてくれる人、実際にかかる負担を考えてくれる人、場の話をじっと聞いてくれる人、話をまとめてくれる人、役割を引き受けてくれる人など、良い感じにみんなが場をまとめ、話を進めてくれたおかげで、時間内にだいたいの事を決めることが出来ました。  阿部さん、今林さんも一緒に真剣に考えて、意見をくださりました。以下がその内容です。

日時 :2019年12月18日(水)

設営18:00~ 発表会19:00~21:00 ごはん21:00~23:00

場所 :鳥取大学 CDL

発表形式:蛇谷さんがメニュー表を作成してグルーピングしてくださるので、そのグループごとに合った発表方法で行う

 次回はついに発表会当日!みんなにとっていい時間になると嬉しいです。それぞれが約一年をかけてやってきたことを形にします。ご興味あればぜひお立ち寄りください。