分科会「表現と社会について」in汽水空港

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 セルフビルドの本屋、汽水空港を拠点とした分科会「表現と社会について」では、鳥取大学生4名、立教大生4名に一般参加者1名と汽水空港店主の森さんが加わった10名でスタートした。

 最初の発表は、京都の本屋「誠光社」を事例に「商い」や「資本主義」について考えるというもの。冒頭からかなり深淵なテーマだったが、「誠光社」とも通じる「汽水空港」という場の力で、自然と議論が展開していったのが印象的だった。

 その後、「写真」「3DCG」「演劇」「グラフィティ」「アニメーション」など自ら行う表現活動から日頃考えている世界観について語り合い、最後は「表現の自由」や「美術館制度」の権力性などの話にまで及んだ。

 汽水空港は通常営業中だったので、本を買いにやってきた一般客の方が、時折興味深そうに議論を眺めていくという姿も見られた。森さんや一般参加者からのコメントも、それぞれが抱く人生観・世界観から発せられ、ときに「死」についてもそれぞれの意見(「おそれ」だけでなく、ある種の「あこがれ」もあるなど)が出されるなど哲学的な対話が展開された。

 2日目は、おでかけ班が法輪寺・どれみ・smoothの順にまわり、最後に汽水空港に戻って他のグループと情報交換したことを報告しあった。

 この日おでかけ班が最初に訪れた法輪寺では、これも場の力なのか、前日にここで話された宗教についての話題と汽水空港での死生観の話が結びついて議論が発展していった。最終的には、資本主義に回収されない生き方・働き方として、企業に就職して勤め上げるというステレオタイプ以外の稼ぎ方、仕事像ついての議論が交わされた。ここでも一般参加の方からの経験に基づいた仕事像、特に、いまは会社側も働き方の工夫をしているので、会社に入るのが悪いわけではないといった助言もあった。

 「死」「宗教」「資本主義」といったキーワードを抱きつつ、次に訪れたどれみでは、「まちづくり」というテーマでやや現実に引き戻され、汽水空港で話されたこととの接点では、グラフィティを用いたまちづくりについての功罪についての話が盛り上がった。アートがまちづくりにわざとらしく使われることや、自分の知らないうちに「まちづくり」の名のもとに地元が変化していくことに対する違和感などが表明され、「まちづくり」に自分自身や自分が行っている表現活動がどう関わるべきか、という問いが共有された。

 最後に訪れたsmoothでは、模造紙一杯にまとめられたこの部屋での議論をながめながら、思い思いに感想を語り合った。ここでの対話で印象に残ったキーワードは「感情」。鳥大生・立教大生ともに自ら表現活動を行っている参加者が多かったことから、どんな思い(感情)を社会に向けて表現しようとしているのか、それをどうコントロール(編集)するかといったことが、抽象的なレベルから具体的・技術的なレベルまでを往復しながら議論された。

 汽水空港に戻り、以上の経過を報告するとともに、ここに残って交わされた議論についても模造紙に残されたあしあとをみながら振り返った。最後は時間が足りなくなり、互いの班でのできごとを十分に共有することはできなかったが、ひとことではとても総括できない多様で充実した対話が展開され、それぞれの参加者のうちに刻まれたようだった。(報告:竹内潔)