7月のにんけんレポート

7月28日(木)「焼き物を通して知る沖縄」レポート

ゲスト|五島朋子   聞き手|蛇谷りえ

 

 7月28日のにんけんでは、鳥取大学芸術文化コースの五島朋子先生によるトーク「焼き物を通して知る沖縄」を行いました。沖縄独自の焼き物の発展や特徴について、焼き物をとりまく人や環境の変化について話を伺う中で見えてきたのは、焼き物と日本における「近代化」との関係でした。

 

 今回は五島先生秘蔵の映像も上映し、器や水差しなどの焼き物が製作される様子を見ながら、沖縄の焼き物がどのように作られ、どのような特徴があるかを学びました。中でも印象的だったのは「登り窯」と呼ばれる巨大な窯の話。成形され、絵付けされた作品がぎっしりと並べられる登り窯は、まるで龍のように長く大きな姿。映像を見ただけで、窯の中に作品を並べるだけでも大変だと分かります。

 五島先生のお話の中で面白かったのは、沖縄の登り窯で特徴的な複数の作家が共同で窯を使う「共同窯」の話。沖縄県の中部、読谷村(よみたんそん)という所には4人の陶工が共同で開いた登り窯があります。そこでは、年に5回、火入れやその後焼きあがるまでの3日3晩を4つの工房が共同で番をしているそうです。その他にも作品の共同ギャラリーがあったり、地域で市が開催されたりしているようで、登り窯を中心としたコミュニティの形成のありようが興味深かったです。

 そもそもこの登り窯で作られる焼き物とは、高級品ではなくいわゆる「民芸品」。民芸品とは、日常生活で使う食器や、農具、工具など安価で大量に生産されるものです。限られたコストの中で地元の土や植物などの資源を使い、染色、絵付けをしたりと独自に工夫、発達してきた中で、「民衆の美術」としてその価値が見出されたのが民芸品でした。窯の中で焼かれるお皿の底には、たいてい丸い柄が描かれているのですが、それは一度に大量の皿を焼くために何枚も重ねて積み置くため、上のお皿を置いた後だという話には驚きました。あくまで、できるだけ大量に作ることを念頭に作られてきたのが民芸品なのです。グローバル化市場経済の発達により淘汰されていった民芸品ですが、4つの窯元が共同で使い、支えている沖縄の共同窯の在り方はこの時代を生き抜く上で必然のことのように思いました。

 

 沖縄の焼き物や登り窯について、そして民芸の衰退・発達についてお話を伺った後、どこからか「近代化」というキーワードが出ました。市場経済活動によって、より安く、便利なものが普及した結果、その土地にもともと育まれていた文化が喪失することが、日本における近代化の形ではなかったかと。この近代化という大きな波を受け、改めて掬い上げられ、日の目を見るようになった存在が民芸ではないかという意見も出たり、一方で民芸品が高級品になり地元の人の生活からは縁遠くなってしまった民芸ブームのような流れは果たして良いのだろうかという意見も出ました。「民芸」には特定の地域に根差した「根っこ」の部分があるというイメージから、市場経済によって切り離されて取引されていることに葛藤、困惑する人もあったようです。けれど、ディスカッションをするうちに、沖縄と九州、沖縄と鳥取のように、地域間で作家同士の交流がなされている話も出てきました。改めて、民芸の「根っこ」は地域を越えて交わる、複雑で奥深いものだと発見できたのではないかと思います。

 

 今回は、VHSビデオとパソコンのスライドを見せるプロジェクター2台使いで、たみの電力を大量に消費してしまいましたが、やはり映像の力はすごくて、登り窯と一言に言っただけでは想像もできないくらいのスケールや、独特の作業を感じることができました。主催者ふくめ、20名ほどの参加者でしたが、飛び入りで民芸に詳しい料理研究家の方も参加してくださり、知り合いの民芸作家さんとのエピソードをお話してくれたりとわきあいあいのトークとなりました。参加して下さった方々ありがとうございました。

 

(レポート 樽本)