2020年6月18日にんげん研究会参加者の声

6月のにんげん研究会定例会はリモートで開催されました。今回の定例会では10名弱ほどのにんけんメンバーが日記を披露しました。どれも独創的で面白く、蛇谷さんらコメンテーターの方々も良い点を見つけて褒めてくださるので、発表者は安心して発表に集中できたと思います。

上述したように、新型コロナの感染リスクを考え、今年はリモートで定例会を行っています。それもあってか、オンラインならではの面白さに気づいたというコメントが多く寄せられました。「ラジオ感覚で聞ける」ということが今までになかった新しさだと捉えているメンバーが多いようです。また、「普段の日常を見直すことの面白さに気づいた。」、「日記のスタイルが三者三様で、それぞれ個性があった。」「物事や他人の内面の発露に対して、人それぞれの捉え方があることが垣間見えた。」等のコメントがあり、人それぞれの価値観の違いに気づいた参加者が多かったようです。次回以降の日記の作成に関する前向きな意気込みも多数寄せられていたので、今後、各メンバーがどのような視点から日常を捉え、それをどのように文章で表現するのか非常に楽しみです。

また、アンケートに対する意見や改善点の提案も多数いただいております。今後はそれらを参考にしつつ次回以降のアンケートの改訂にも取り組んでく所存です。今後とも、アセスメントチームの活動へのご協力よろしくお願いいたします。

 

にんげん研究会アセスメントチーム一同

2020年6月18日にんげん研究会レポート

「ラジオっぽい日記」 鳥取大学 稲津ゼミ 三回生 志茂春菜

2020年6月18日(木)に、にんげん研究会(以下にんけん)が行われました。この日のにんけんでは、学生以外の方も参加をされており、県外から参加されている方もいました。

今回のにんけんのテーマは、コロナウイルスの影響を受け、オンラインで繋がることで新しく出会えたことや繋がれたこと、繋がれない状況の中で出会えたモノを日記として発表することです。日記の条件は、「テーマがわかるタイトル」と「日付」をつけて書くことです。学生が書いてきた日記に対して、コメンテーターのうかぶLLCの蛇谷りえさん、写真家の金川晋吾さん、アニメーション作家の今林由佳さんがコメントをされていました。今回は9人の学生が日記を発表しており、それぞれの日記の発表は3分で読み上げられ、コメンテーターの方からの質問と感想を合わせて10分で行われました。

 

日記では、内容はもちろん文章の構成や話し方まで様々で、クスッと笑える日記や共感する日記、なるほどと納得する日記など、どの日記にも個性が表れていました。学生が発表した日記を全てのせたい思いだが、当日発表された流れでここに簡潔に紹介します。

 

最初に発表されたのは、井田遥さんです。タイトルは「タマネギマン」で、2020年6月15日に書かれたものでした。井田さんは、自粛中の散歩や自炊を行う様子について発表されました。散歩の場面では、毎回同じルートをだいたい決まったプレイリストで散歩をするため、家でプレイリストを聞くときに「この曲はあの辺の道だな」と分かると言ってました。自炊の場面では、タマネギを切る時にラップを取り出し、それをヤッターマンのように目に覆ってタマネギと戦う様子について発表されました。この様子に対して蛇谷さんは、大笑いされていて、蛇谷さんには、ヤッターマンがヒットしたようでした。コメンテーターの方々の笑いを誘った日記は、少し緊張感が漂っていた雰囲気を吹き飛ばしたように感じました。

 

次に発表されたのは、山崎七重さんです。タイトルは「友達との距離」、2020年5月2日に書かれたものです。山崎さんは、24時間もの間、三人の友達と通話を繋げるというチャレンジをしたことについて発表されました。24時間の通話で、音だけで友人が何をしているのかが分かるようになったそうです。今林さんと金川さんから、「若いからできることで自分たちの時代と環境が違う」と笑いながら、コメントされてました。

 

次に発表されたのは、内田はるねさんです。タイトルは「家族と物資とわたし」、2020年5月30日に書かれたものです。この日に家族から食料などの物資が届いたことをきっかけに、コロナウイルス影響下での自身の生活についての振り返りを発表されました。コロナウイルスの影響を受け、実家に安易に帰ることができず、今まで当たり前だった家族との時間の大切さについて語られました。今林さんからは、「コロナウイルスのことが分かるドキュメンタリーとして、将来まで残してほしい」とコメントされてました。

 

次に発表されたのは、宮北温夫さんです。タイトルは「日本経済新聞を読んだ」、2020年6月17日に書かれたものです。宮北さんは、新聞の配達員が運んできた新聞から、コロナ・ショックにおける学生の姿について分析を行っている様子を発表されました。金川さんからは、「ZOOMのアバターがイヌなのに分析的な日記で笑ってしまう」とコメントされてました。

 

次に発表されたのは、渡辺大志さんです。タイトルは「ランニング」、2020年6月9日に書かれたものです。渡辺さんは、運動不足解消のためランニングをしている途中で友人と会った時の出来事について発表されました。友人に対して就職活動やゼミ、卒業論文など話したいことが積もるほどあった様子についても発表をされました。そんな中で、ふと上を見上げた時に見た景色についても語られました。今風に言うと「エモい」みたいな感じの景色である。金川さんは、「心地よい出来事について書いている」とコメントされてました。

 

ここで、休憩が入り、休憩中も様々な会話が飛び交っていました。その中で鳥取大学地域学部の教員を務める家中茂さんは、前半の日記の発表を自分のカメラとマイクをオフにして、「ラジオっぽい」感覚でご飯を食べながら聞いていたと言ってました。私も家中さんと同様にカメラとマイクをオフにして、お茶を飲みながら日記の発表を聞いていました。後日、聞いた話しだが稲津ゼミでは、半身浴をしながら聞いている人や発表者を画面越しに見ながら聞いていた人、猫と葛藤しながら聞いていた人、ドキドキしながら自分の発表を待ちながら聞いていた人がいました。画面の向こうでは、それぞれがそれぞれの聞き方で日記を聞いていたのだと思いました。

 

休憩が終わり、交換の日記の発表になりました。前半もコメンテーターの方々の質問と感想が盛り上がっていたため、休憩をはさんだ後からは時間が押し気味に進行されました。

 

後半の最初は吉田豊さんの発表です。タイトルは「東京」、2020年6月6日に書かれたものです。吉田さんは、日本に旅をしに来たニュージーランド出身の人や大学のために日本に来たドイツ人など東京で出会った、日本にとどまる人々との会話を通して、コロナウイルスと戦いながらも楽しんで生きている人々について発表されました。コメンテーターの方からは、「人と会うことでコロナ化を感じさせられる日記である」とコメントされていました。このコメントの背景には、吉田さんの自分のことを日記でどこまで書くかという悩みがあったそうです。「自分のことではなく、人を通してコロナ化を描いていることで、共感できた」という声もありました。また、「宮北さんの分析的な日記とは対照的である」という意見もありました。

 

次に発表されたのは、増岡祐子さんです。タイトルは「どぶろくは生きている」、2020年6月15日に書かれたものです。増岡さんは、友人の家で飲んだどぶろくのラベルに書かれた言葉から、コロナウイルス影響下の人間の様子について発表されました。人間が自粛をしている間もどぶろくは発酵をしているという意味で「生きている」のか。はたまた本当に「生きている」のだろうか。人間の生きている感覚とは少し違う「生きている」ものとの出会いが、友人とのやり取りを交えながら描かれていました。

金川さんからは、「手紙を書いた人だよね?(昨年末の成果発表会で靴屋さんに向けて手紙を発表されていた) 日記でも一つ一つの物の配置まで書かれていて描写が見える」とコメントされていた。

 

次に発表されたのは、山下紗世さんです。タイトルは「体温を測る」、2020年6月18日に書かれたものです。山下さんは、コロナウイルスの影響で体温と向き合う習慣ができたことについて発表されました。いつの間にか消された、大学から配られたExcelファイルの健康記録表。Excelファイルを本人が消しているにも関わらず、日記を書く際に当の本人は忘れていることなどに対して、金川さんは「この日記を聞いて『茄子の輝き』という本を思い出した」とコメントされていました。また、今林さんからは「瓶に詰めて海に流してほしい」という声もありました。

 

最後に発表されたのは、落合麻衣さんです。タイトルは「身近な人とのつながり」、2020年6月1日に書かれたものです。落合さんは、コロナウイルスの影響下での友人とのつながりや友人と自分の生活リズムの対比などについて発表されていました。また、本当は友人と連絡をとりたいが、断られた時にショックを受けるため自分からはあまり連絡をしなかったが、ZOOMというアプリを使用することで以前より、自分から繋がろうとすることが増えたと発表をしていました。そのため、「人間関係わかるわ~」という声があり、リアルな生活を描いたからこそ、共感できる部分が多かったのだと思いました。

 

以上が発表された日記です。全ての発表を聞いてコメンテーターの方からは、「人に対して日記を発表するため、人に理解してもらうような文章を感じる」と言ってました。また、「日記を人に発表するということで、自分の気持ちの部分をどこまで書くべきなのか」という声もありました。日記とはなにか?という議論が今回もされていました。前回の議論では、日記とは自分の思いを書くものであるという意見や他人の目を気にせずに書いたもの、文章を書くことは他者の目に触れる可能性があるものであり、他人の目を気にするべきものといった考えがあったが今回、金川さんからは「次回は○○をした。○○をした」というような人に見せないことを前提で書かれた本来の日記のようなものを書いてほしいという意見がありました。また、今林さんからは、「日記の主人公が何をしているか様々な角度から描いたらどうか」というアニメーション作家からの視点でアドバイスがありました。

引き続き、にんけんでの日記とは何かを模索していく必要があると考えました。今回の議論を踏まえて、次回の日記で自分がどのような書き方をするのか、他の学生がどのような日記を書くのか楽しみです。

 

今回、私は身近な大学生の日記を初めて聞きました。人の日記を読むということは、あるかもしれないが、聞くということは滅多にないことだと思いました。また、テーマはコロナウイルスの影響下での日記であるため、それぞれがコロナウイルスと向き合わざるを得ない中で生きていてるのだと感じました。

にんけんで日記を書くことは、コロナウイルスの影響を受けて、以前は当たり前だったことが当たり前ではないことやコロナウイルスの影響前と変わらない当たり前の現状もあることなど自分の周りでの出来事に気付くきっかけや考えるきっかけになると感じました。日記を書くことで、友達や家族との関係、自分の気持ちなど自分自身や自分の周りを見つめ直す機会になるのではないかと思います。今後、日記を書いていく中で、どのような気づきを得ることができるのか楽しみであり、それに見合う時間を注いでいくべきだと思います。

 

金川さんが最後に「日記とは、自分の思ったことを書いていい。優越のない世界である」とおっしゃっていた。この、平和な時間を次回も気合いを入れて臨もうと思います。

 

 

2020年5月21日 にんげん研究会レポート

2020年5月21日(木)ににんげん研究会(以下、にんけん)がありました。2020年度初めてのにんけんはコロナの影響がありzoomを使ってオンライン上で行われました。参加者は30名近くで、例年に比べるとかなり多い人数だそうです。

 

 今回のにんけんでは、まず初めに今年のにんけんの流れ・テーマについてのオリエンテーションがありました。今までにんけんの一環で行ってきた「地域の記憶を記録するメディアプロジェクト」は、インタビューなどを通して映像やスライド、展示など様々な手法で行われていたそうですが、今年は日記を用いて地域を記録していく方法で決定しました。

今年も昨年に引き続き「テーマがない」ことがテーマであり、コロナの影響で変わった日常で新しく見えてきた価値観・出会ったものなどを日記を書くことで記録していきます。

 

 初回のにんけんでは、まず初めに鳥取大学から参加する大学教授、うかぶLLCの蛇谷りえさん、ゲストリポーターの写真家の金川晋吾さんとアニメーション作家の今林由佳さんの自己紹介から始まりました。その後、蛇谷さん・金川さん・今林さん・鳥取大学の稲津秀樹さんが日記を書いてきて輪読を行いました。その後、この四人がそれぞれコメントを言っていきました。今後は、蛇谷さん・金川さん・今林さんがコメンテータとなり学生の日記に対してコメントしていく形になりました。

 

 四人の日記は、表現方法は様々なカタチでした。トップバッターの稲津さんは淡々と景色と感情を述べていくような印象。蛇谷さんは、一つのものに焦点を当てて、そこから見えてきた世界を描いていました。今林さんは、会話を導入しながら記憶がまるで動き出しそうな落語のような雰囲気がありました。金川さんは、自分の見えている世界を考察していくものでした。

その後に話されたコメンテーターの話し合いの中で興味深かったことは、「日記というものはなにか?」ということでした。日記というのは、普段自分が感じていることをそのまま書くもので、自分の秘密にかかわるものであるようです。4人のコメンテーターの間では、文章を書く以上ほかの人の目に触れる可能性もあり、他人の目を捨てることはできない。自分自身の感じていることを晒す作業。一方では、他人の目を気にしないで書いたものが日記なんじゃないかというこという意見がありました。また、にんけんの場では、発表するための日記で異質なものであると思います。こうした考えや条件が今後の学生からの日記にどんな風に影響するのか楽しみに感じましたし、自分自身がどのような立場や考えをもって日記を書くのか深く考える機会になりました。

私は初めてのにんけんへの参加だったのでどんな雰囲気なのだろうかと思っていました。

参加している人で普段の立場を気にせず話し合いの場を作るのを目的としているというとでゆるさも感じつつ、オンライン上で初めて顔合わせをする人もいて緊張もあり、独特の雰囲気でした。身近な生活をもう一度見つめること、疑問や関心を持つこと、忘れがちになりやすいですが、考えることを助けてくれるそういった場になると感じました。

今後もにんけんの活動を頑張っていきたいです。 

(文:鳥取大学 稲津ゼミ3回生 福田健太郎

分科会「表現と社会について」in汽水空港

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 セルフビルドの本屋、汽水空港を拠点とした分科会「表現と社会について」では、鳥取大学生4名、立教大生4名に一般参加者1名と汽水空港店主の森さんが加わった10名でスタートした。

 最初の発表は、京都の本屋「誠光社」を事例に「商い」や「資本主義」について考えるというもの。冒頭からかなり深淵なテーマだったが、「誠光社」とも通じる「汽水空港」という場の力で、自然と議論が展開していったのが印象的だった。

 その後、「写真」「3DCG」「演劇」「グラフィティ」「アニメーション」など自ら行う表現活動から日頃考えている世界観について語り合い、最後は「表現の自由」や「美術館制度」の権力性などの話にまで及んだ。

 汽水空港は通常営業中だったので、本を買いにやってきた一般客の方が、時折興味深そうに議論を眺めていくという姿も見られた。森さんや一般参加者からのコメントも、それぞれが抱く人生観・世界観から発せられ、ときに「死」についてもそれぞれの意見(「おそれ」だけでなく、ある種の「あこがれ」もあるなど)が出されるなど哲学的な対話が展開された。

 2日目は、おでかけ班が法輪寺・どれみ・smoothの順にまわり、最後に汽水空港に戻って他のグループと情報交換したことを報告しあった。

 この日おでかけ班が最初に訪れた法輪寺では、これも場の力なのか、前日にここで話された宗教についての話題と汽水空港での死生観の話が結びついて議論が発展していった。最終的には、資本主義に回収されない生き方・働き方として、企業に就職して勤め上げるというステレオタイプ以外の稼ぎ方、仕事像ついての議論が交わされた。ここでも一般参加の方からの経験に基づいた仕事像、特に、いまは会社側も働き方の工夫をしているので、会社に入るのが悪いわけではないといった助言もあった。

 「死」「宗教」「資本主義」といったキーワードを抱きつつ、次に訪れたどれみでは、「まちづくり」というテーマでやや現実に引き戻され、汽水空港で話されたこととの接点では、グラフィティを用いたまちづくりについての功罪についての話が盛り上がった。アートがまちづくりにわざとらしく使われることや、自分の知らないうちに「まちづくり」の名のもとに地元が変化していくことに対する違和感などが表明され、「まちづくり」に自分自身や自分が行っている表現活動がどう関わるべきか、という問いが共有された。

 最後に訪れたsmoothでは、模造紙一杯にまとめられたこの部屋での議論をながめながら、思い思いに感想を語り合った。ここでの対話で印象に残ったキーワードは「感情」。鳥大生・立教大生ともに自ら表現活動を行っている参加者が多かったことから、どんな思い(感情)を社会に向けて表現しようとしているのか、それをどうコントロール(編集)するかといったことが、抽象的なレベルから具体的・技術的なレベルまでを往復しながら議論された。

 汽水空港に戻り、以上の経過を報告するとともに、ここに残って交わされた議論についても模造紙に残されたあしあとをみながら振り返った。最後は時間が足りなくなり、互いの班でのできごとを十分に共有することはできなかったが、ひとことではとても総括できない多様で充実した対話が展開され、それぞれの参加者のうちに刻まれたようだった。(報告:竹内潔)

分科会「にんげんについて」in法林寺

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「たみ」から松崎駅とは反対方向に歩いていくと、浄土真宗大谷派の寺院「法林寺」がある。本堂に入ると、周囲とはまた別種の静けさを感じることができる。入って右の襖のところには一周忌にはじまり、なかには百回忌を終えられた方までの戒名を記した和紙が並ぶ。これだけでも、このお寺が松崎の町の営みといかに深く関わってきたのかが窺える。

本分科会は、山下紗世リーダーの司会のもと、鳥取大学生3名、立教大学生6名、そして飛び入りの報告者Sさんによる計10名の発表が行われた。大枠となるテーマは「にんげんについて」である。分科会の開始前には、お寺のご住職よりお話を頂いた。ご住職のお姿にも現れている真宗大谷派の信仰についてはじまり、仏教の教えでは分科会テーマである「にんげん」を「人間」として記すこと、そして最後に「地域のお勤め」として続けておられるという、除夜の鐘のことや広島原爆の平和学習についてのお話がなされた。

ご住職による有難いお話が聞けるだけでも、何だか得した気分になってしまう。こうした場の雰囲気が引き寄せたのか、この部会には、前述のSさんに加えて、Iさんというお二人の方の一般参加があった。ご住職のお話が終わるや早々に大学生による議論が開始された。

トピックは、「暮らしのなかの宗教」「ホームレスという生き方」「狂気と創造の関係」「ソフトパワーパブリック・ディプロマシー」「セクシュアル・マイノリティ」「自分研究」「化粧」「アイドル文化とファンの行動」「アルザル(アガルタ)」という地球内空洞説、といった具合に多岐にわたっていた。

報告方法としても、事前に作成した「研究シート」をもとに口頭で関心を伝える人、思想書からの引用文を補足のレジュメとして追加配布する人、パワーポイントでいかにも「プレゼン」として伝える人、はては自作の映像作品の上映を始める人、といった具合に、一人一人のアプローチも大きく異なっていた。

このように、ひとつひとつの発表にエッジが効いていたこともあってか、オーディエンスとして参加していた住民のIさんは、学生の報告が終わるたびに「いいですか?」と質問を投げかけてくださっていた。分科会の議論の大半は、この奇特なIさんと学生たちとのやりとりで成り立っていたと言ってよい。自分の報告内容に確実なレシーブがあることは緊張もするが、とても有難いことである。他方、報告内容を見ても分かる通り、学生メンバーたちは、互いの研究に関心を持ちながらも、この部会メンバーに共通する課題を見出すことに大変苦労しているようだった。

ともすれば、そのまま学生同士で内向きに閉塞しがちな議論も、IさんとSさんが寄せてくれた話題と相対化しながら深めることができていたように思う。それが顕著に表れた場面は、お堂での4時間のあいだに、2回ほど訪れていたように思える。

ひとつは、Iさんとのやりとりから生まれた議論の展開である。結果的に長時間をかけて行われたIさんとの質疑応答は、同時に、私たちがIさんという男性の人生や価値観にふれることができた過程でもあった。例えば、Iさんが有名化粧品会社の開発職をリタイアしてから湯梨浜へ戻ってきた方であり、統合失調症を抱えるご家族のケアにもあたってこられたご経験があることなどだ。

こうした背景を持つIさんの観点と、20代前半の学生たちによる報告がぶつかることで生まれる議論は、必然的に世代的な経験の違いを大きく浮かび上がらせることになった。興味深かったのは、これが単なる世代の違いに回収されずに、全く異なるように思える両者の経験に共通する世の中の動きを浮かび上がらせようとする議論に至れたことである。

例えば、リカちゃん人形のフォルムが時代ごとに異なるという話題をきっかけに、それが化粧やファッションやアイドルであっても、はたまた宗教やホームレス、狂気やセクシュアリティ、ひいては地球それ自体への認識であっても、「にんげんの求める対象の在り方が、時代ごとに異なった様相を見せているのではないか」という議論にまで至れたことは、この分科会のとても重要な気づきであったと思う。それはこの場に持ち込まれた多様な研究関心が、世代差とともに語られていくことによって生まれた、「にんげん」の営みそのものに対する立派な仮説であるだろう。

もうひとつは、当日、飛び入り参加されたSさんによる「自分にとって本当にちかい言葉で会話すること」という報告が伝えてくれた、言葉選びへの態度である。Sさんは「20代半ばくらいまで、なるべく自分の本音や意見を言わず、まわりの人が求めているように感じることを勝手にくみとって選択して行動していたら、ずいぶん混乱した気持ちになった」という。そこから「自分自身に無理がなく、快適である為に自分の言葉で話そう」と決意したという。具体的には、親しい友人や旅先で会った人に手紙を書くことを日課にしたり、二人きりで話す機会を設け、「その場で交わす言葉がなるべく正直であるように心がけた」という。その結果、Sさんの至った考察が、次のような「嘘をつく」ことへの考え方に裏打ちされた言葉からの生活観や倫理観であったことは、とても興味深いものだった。

Sさん曰く、「『嘘をつく』ことは、自分自身にストレスとして大きな負荷をかける大きな要因となる」。それは見えないところへ蓄積していき、自分自身を蝕んでいく。だからこそ「自分の心に近い言葉を探して、それを発すること」「自分が本当にはどうしたいのか問い続けながら生活することが重要」だと言う。なぜなら、それが「自分自身にとって、より快適な環境に近づくことにつながっている」からである。

このように「言葉を誠実に選んだら、生き方にもモヤモヤが少なくなっていった」と語るSさんは、ひとつひとつの言葉選びが、人間の生き方、ひいては生活や環境とも連環していると実感をもって伝えてくれた。そして、自分の言葉選びを大切にすることで、「他者と自分の意見は違っていることはとても自然だと気づけた」と言うように、Sさんの気づきは、他者の言葉、ひいては他者の意見の自由に対する倫理観をも伝えてくれたように思える。

こうしたIさんとSさんの議論に触発されながら、互いの興味関心について語り合った学生たちが翌日の「井戸端会議」に向けて考え出したのが、「私とまわりの〇〇〇」というテーマだった。ここで言う「〇〇〇」とは何だろうか。これについて報告者は直接、学生たちにその理由を尋ねたわけではない。

けれども、これらの空白の円には、Iさんとの対話で気づかされた「私」の「まわり」で常に移ろい変わる対象への認識態度や、自分自身の言葉と他者の言葉をともに大切にしたいという、Sさんから教わった生活観・倫理観が確実に見て取ることができる。

翌日、「おでかけ」チームに割り当てられた私は、「井戸端会議」終了間際に法林寺に戻ることになった。上のテーマが記された真っ白な模造紙に現れていたのは、「〇〇〇」という空白の環を通じて浮かび上がってきた無数の言葉たちであり、この場にやって来ては通り過ぎて行った「にんげん」たちの世界に対する認識と関心の多様性そのものであったように思える(写真)。

はたして次回の大会では、どのような「にんげん」像が浮かび上がってくるのだろうか。来るべき2020年の「にんげん研究大発表会」での議論にも大いに期待したい。

(報告:稲津秀樹)

 

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法林寺分科会で語られた「あしあと」

 

松崎ドラマチック物件ツアー(Matsuzaki Dramatic Tour 2019)」

「それじゃ、いまからはじめまーす!」

2019824日-土曜日の午前10時、松崎は汗ばむほどの暑さだった。この日、ゲストハウス「たみ」に集ったのは、『にんげん研究大発表会2019』に参加する総勢50名ほどの大学生とその教員たちだ。「たみ」に収まりきらない人たちと、その話し声はおのずから室外へと溢れだし、JR松崎駅前に続く通り道は、普段とは違う賑わいを見せ始めていた。とはいえ、このとき到着したばかりの立教大学生たちと、彼・彼女たちを迎える鳥取大学生たちの距離感は、まだ何となくぎこちない。

「それじゃ、いまからはじめまーす!」そこにすっとした声が通りぬけていく。「たみ」を運営する合同会社うかぶLLC代表の蛇谷りえさんだ。朗らかながらも的を射たアナウンスが参加者に伝えられる。なかでも大学教員のわたしに最も届いたものは、「今日からの2日間、先生たちが何を言っても気にしないで下さい!」と、学生たちに伝えてくれたことだった。「誰もが主役になれる」ために、このように「主客をリセット」しながら物事を運ぶ姿勢は(*1)、「たみ」の宿主である蛇谷さんが多くの訪問客とつくってきた構えでもある。

同じく、「うかぶ」の共同代表である三宅航太郎さんからも、このツアーの後には「町への解像度が変わってくるんで」とのひと言が伝えられる。移住者であるご自身の体験や、2回、3回と重ねてきたこの企画への確かな手ごたえから発せられた言葉だと感じる。三宅さんも別のところで、「こんな感覚があるんだ」「そんな考え方もあるんだ」という驚きを忘れない心をもって、ゲストハウスの運営に臨んできたことを語っている(*2)。「町への解像度が変わる」体験が、「ドラマチック」でもあるためには、こうした心の構えに裏打ちされた感覚を持ち合わせることが、きっと重要なのだろう。

このような何気ない言葉にも、蛇谷さんと三宅さんがゲストハウスの運営を通じて築いてきた考え方や感覚を垣間見ることができる。今年もこうしたお二人の実践感覚に導かれながら、2019年夏の「松崎ドラマチック物件ツアー」がスタートした。

 

しんがり」から見えていた風景

まずは「たみ」から旧街道を通って、松崎駅方面へと歩き出す。昨年に続いて2回目のツアー参加となるわたしは、今回は最後尾の「しんがり」役として歩くことになった。先導する三宅さんの「物件解説」を聞くことこそ叶わなかったが、それでもいくつもの気づきを得られたツアーだった。例えば、「しんがり」だからこそ見えてくる風景に、前を行く人たちの後ろ姿がある。松崎の通りという通りを50名もの人たちが歩いていく様に、わたしは終始、眼を見開かされていた。

以前、松崎駅で汽車を降りたとき、このあたりが「松崎温泉」と呼ばれた頃の写真を飾っている小屋を覗いたことがある。そして今、目の前を行く人たちの背中を見つめていると、かつて多くの旅行客で賑わったという往時の松崎に時間移動したのではないかと思わず錯覚してしまう(*3)。往時の松崎と言えば、1938年(昭和13年)当時、松崎小学校で編まれた村内の井戸と風呂の普及状況に関するデータ(*4)を見つけた話をしていたところ、わたしの横を歩いていた「たみ」のスタッフからも、家の中に湧き出る井戸と風呂の話を住民から聞いたことがあるとの話が重なっていく。松崎駅前通りの「湯の華慈母観音」を横目にかすめながら、この町の暮らしには湯水とその湧口をめぐる話が、今も確実に息づいていることを思わされる。

旭区の「麻畑やろばた」まで歩いた一行は、ここで東郷池側へと右折する。すると、ぽかんと開けた空き地と、ここ最近に建てられたと思われる新築住宅がいくつか目に飛び込んでくる。整地された区画に沿ってクネクネと歩いていくうちに、それまで各々がバラバラに広がって歩いていた50人前後の人の群れが、自然と行列になっている。これを興味深く眺めていると、出来たばかりの人の列が早速ブツリと途切れてしまった。

実は、ここで列が途切れてしまうのには理由がある。このあたりの土地は明治時代から昭和初期にかけて段階的に埋め立てられ、そこに東郷池の南岸に沿って走る県道22号(倉吉青谷線)が開通した経緯がある(*5)。よって、松崎駅側から湖岸に歩く人の流れは、湖岸を横目に通り過ぎる車の流れと、ここで十字にぶつかってしまうことになるのだ。

人の歩く速度と、県道を走る車の速度が違いすぎて、思わず軽い眩暈に襲われてしまう。鳥取県と警察のまとめた報告を読むと、実際、ここは人身事故も含めた交通事故が多く発生している路線だという(*6)。そんな県道を無事に渡り切り、再び一列に戻った一行は、最初の「ドラマチック物件」である「小谷家」へと到着する。

 

小谷家の記憶と哲夫さんの記憶

玄関に入ったところで、家主である小谷哲夫さんが出迎えてくださった。「ようこそ、いらっしゃいました」と笑顔で語り掛けて下さる哲夫さんに、こちらもご挨拶を交わす。玄関には段ボールを切り抜いた等身大サイズの山羊がおり、「伊勢湾台風の記憶」と題された文書のコピーが一人一人に配られた(*7)。「どうぞ、もってってください。このあたりまで浸水したんです」と(写真1)、柱をさしながらお話される哲夫さんの表情は真剣そのものだ。この家に刻まれた記憶を知ってもらいたい、という気持ちが伝わってくる。最後に家の敷居を跨がせて頂いたわたしは、他の参加者よりも詳しくお話を伺う機会にめぐまれた。

 

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浸水時の状況を伝えてくださる小谷哲夫さん

伊勢湾台風が松崎を襲った1959年当時、哲夫さんは小学校5年生だった。上記の埋め立てが行われた松崎駅付近から、旭区にかけてはほぼ全域が冠水し、小谷家も床上30cmくらいまでが浸水被害に見舞われたという。このとき哲夫さんのご両親とご兄弟のみならず、近隣住民を含む計3所帯が、小谷家の2階でしばらく合同生活をしていた。だが、当時飼っていたメスの山羊(メル)だけは2階に連れて行ってやれず、梨の木箱でつくった段差の上で急を凌いでもらっていたという。また、この時の避難生活から、哲夫さんご自身も破傷風にかかってしまい、麻酔のない中で膿を絞り出された傷痕が今も残っているとのことであった。このように台風被害は小谷家だけでなく、哲夫さんご自身の身体にも刻まれている。小谷家の家屋の記憶は、哲夫さんご自身の身体の記憶でもあるのだ。

このときの経験から、小谷家の家屋はコンクリートの基礎部分を1mほどかさ上げするのみならず、家屋の壁面部分に簡易水道管を通し、2階からも水のくみ取りができるようにした。実際、これらの対策は杞憂に終わらず、その後も1987(昭和62)年、1990(平成2)年と、繰り返された台風による浸水被害の折にも役立ってきたという

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家屋のかさあげ部分と壁面に這わせた簡易水道

 

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写真裏面に「S.62.10/17 台風19号 自宅2階より南側を望む」とある。(提供:小谷哲夫さん)

他にも小谷家の中庭に咲いた五つ葉のクローバーのこと、畑から刈り取ったばかりのパンパスグラス(シロガネヨシ)の束を生け花用にこれから届けに行くことなど、小谷家と哲夫さんの「ドラマ」は続く。ひとつひとつのお話に聞き入るあまり、「しんがり」どころか、ツアーの列からすっかり切り離されたことにようやく気付いてきたわたしは、お話を一区切り終えられた哲夫さんにお礼を告げ、小谷家を後にした。

 

「これまで」と「これから」交わり合う「この町の営み」

「松崎地区にある地域住民が集う拠点やお店、家の中までもまちあるき。この町の営みを覗いてみましょう」。この日、配布されたパンフレットに記された説明に違わず、このツアーでは遠慮なく、個人の家の中、お店の中を通り抜けていった。小谷さんの「家」を後にした一行が次に出会ったのは、何かしらの「お店」であり、「拠点」であったわけだが、その中身はどんな人が、どんな建物で、どんな営みをしているかによって大きく異なっていた。その足取りは、この町の「これまで」と「これから」が交わり合う様子が垣間見える歩みだったように思える。

わたしが合流したとき、既に一行は、海鮮丼でも有名な老舗の河本魚店と湖畔公園を通り抜けた後だった。あれだけ目立つ人の列がいなくなると、住宅街はあっという間に普段の落ち着きを取り戻している。早足に追いかけるうちに、湖岸のカフェ「HAKUSEN(ハクセン)」の入口に溜まる人の列を見つけて、再び「しんがり」に戻る。そうして店の中でコーヒーに溶けていくミルクのような渦の中心にいた三宅さんを見つける。果たしてどんな物件解説をされているのだろうと思っていると、すれ違いざまに聞こえてきたのは、「おっしゃれ~」との一言だった。「おしゃれ」なのは、もちろんわたしのことではなく、淡い白色を基調としながら湖岸に佇む、このカフェの「都会チック」な雰囲気を指してのことだろう(*8)。

このとき三宅さんの後ろには東郷池の水面が拡がっていた。いや、三宅さんだけでなく、このカフェそのものが東郷池に浮かんでいるかのように思えたのだ。よく目を凝らしてみると、このカフェの建物の湖側には壁がなく、全てガラス張りのつくりとなっている。水面の輝きがいくつもの大型ガラスを通して乱反射しながら、カフェの室内をより明るく照らしている。それは猛暑のギラギラとした日差しをキラキラとした煌めきに変えてしまうような、空間のマジックを体験しているかのようだった。かつて東郷池には、龍湯島という湖中に浮かぶ入浴施設があったと言われているが(*9)、水面に浮かんだ島の中で湯につかるという体験にも、こうした奇術的な空間感覚が伴っていたのだろうか。

HAKUSENを後にした一行は、湖岸工事の現場を歩きながら、2018年に開業したばかりの朴訥(ぼくとつ)という古着屋に到着した。店舗はもともと歯科クリニックとして使われていたそうだが、病院をイメージする無機質な感じはなく、むしろ、縁側のある中庭が逆に柔らかな印象をもたらしていた。暑い日差しを和らげてくれる緑の木陰に入ると、ほっと息がこぼれる。縁側からそのまま屋内に上がりこみ廊下を抜けると、かつては待合室であったろうと思しき空間に、ずらりと並んだ衣服たちが目に飛び込んでくる。古着とは思えない衣服の清らかさと鮮やかさに、思わず手を伸ばしたくなる。すると窓口(レジカウンター)の中の店主さんが目に入り、「ありがとうございました」とご挨拶したと思いきや、またすぐに県道へ出てしまった。

あまりにも一瞬すぎる朴訥の世界観との邂逅に、ここは一体何だったのだろうかと、思わず後ろ髪を惹かれてしまう。古いものを資源としながら、そこに新しい価値を与えていく営みと言ってしまえば簡単だが、朴訥のWEBLOGには、そんな表面的な解釈ではまとめようのない開店までの思いや苦労の一端が記されていたりする(*10)。

朴訥を後にした一行は、今度は松崎駅側へと県道を渡りなおす。先ほどと同じく、ここでも列が途切れてしまう。「寿湯」という銭湯のある通路のところで、わたしを含めた「しんがり」の面々が再び合流する。その路地を通り抜けると、ツアーのスタート地点である、「たみ」から松崎駅前へ続く旧街道に戻ってきた。と思いきや、今度はすぐさま「たみ」の並ぶ町屋の裏口側へと回り込み、建物の土台がむき出しの空き家に入り込んでいく。

暗がりの中、列の先を行く人たちから口々に伝えられたのは、ここもどうやら、移住者が近々開業するお店であるとのことだった。かつて化粧品屋として親しまれた建物が、年内をめどに美容室へと生まれ変わるらしい。この店をはじめ、「たみ」が2012年に開業してからというものの、HAKUSEN2015年)や朴訥(2018年)といった移住者の店が松崎駅周辺に集まりだしているという。いつかどこかで誰かと話した、そんな話題が思い出された。

 この日、一行が最後に訪れた「汽水空港」もそうしたお店のひとつだ。汽水域である東郷池にちなんだ古書店であり、東日本大震災後に関東から移住してきたモリテツヤさんが、文字通りのDiYによって建物を一からつくりあげ、開店にこぎつけた経緯を持つ場所である(*11)。モリさんは昨年の「大発表会」の折にも、汽水空港という場所がもつ「幅と揺らぎ」について語ってくれたが(*12)、今回話してくれたのは「Whole Crisis Catalogをつくる」という取り組みのことだった(写真4)。これは20197月の参議院議員選挙を前に、町内外の老若男女が集まってお互いにとっての「困っていること」(危機=Crisis)を語り合う・伝え合うことから、等価交換・贈与経済の先までを展望しようとする試みだった(*13)。

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『Whole Crisis Catalog vol.1』の表紙

 モリさんは、一人ひとりの抱える危機を話し合った体験を通じて生まれてきた変化に加えて、これからは「アジアからやさしさを輸入したい」とも語ってくれた。「輸入」という言葉選びに、この店舗が単なる古書店ではない、「空港」でもあることへの感覚が伝わってくる。危機を嘆くばかりでなく、危機を超えるために必要な「やさしさ」を求めて、いよいよ東郷池とアジアを結ぶフライトが「就航」することになるのか。仮に来年の「大発表会」が開かれる頃には、ここはどんなふうになっているのだろう。いや、汽水空港だけでなく、どんなHAKUSENや朴訥と、そしてまだ見ぬ美容室と出会えるのだろうか。この町に移り住む人たちの営みは、「これまで」の「町の営み」と確実に交わりあっていく。それは同時に、変わりゆく「これから」の松崎の姿を、私たちに垣間見せてくれていたように思える。

 

うなぎになって「世界を横断しよう」

汽水空港で話し込むうちに、時間は12時をまわっていた。既に解散したツアーの一行は、各々に「たみ」に戻ってランチタイムを過ごしつつ、午後からの分科会準備に向かったようだった。13時からの分科会開始まではまだ間がある。「しんがり」の見守り役から解放されたわたしは、路地をふらふらと彷徨っていた。歩きながらふと考える。先ほどまでわたしの目の前に現れて、松崎の路地を埋め尽くしていたあの列は何だったのだろうと(写真5)。

 

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松崎の路地を行く「ドラマチックツアー」参加者の列

 

同時に、汽水空港の直前に訪れた「梅屋」と「佐藤会席」での体験を思い出していた。これらは「商店と自宅と作業場が一つに繋がっている」ことで「暮らす場所と働く場所がいっしょ」になった「うなぎの寝床」と呼ばれる建物としても知られている(*14)。上の写真の路地よりも細い幅の入り口をくぐると、大人一人がやっと歩けるくらいの通路が続いていて、一行の列は文字通り「うなぎ」のように押し込められていった。加えて、上を向けば晴れ渡る空を見ることのできる路地とは違い、天井と壁と床に囲われ、昼間でも暗がりになっている通路は、それ自体がまさに「寝床」のようであった。

この「寝床」を通り抜ける最中も、「物置」であったり、「居間」であったり、「キッチン(作業場)」であったり、「店舗(拠点)」であったりと、目の前に現れる空間が数メートル置きに変化を見せてくれた。HAKUSENとも違うかたちで展開する空間の奇術に、前を往く参加者たちの感嘆する様子が、「しんがり」の方にまで伝わってきた。住宅街の区画に沿って浮かびあがった人の列が、HAKUSENでコーヒーに溶ける「ミルク」のようになったときや、未来の美容室で「伝言」を受けたときに感じられたことが何だったのか。梅屋や佐藤会席を通り抜けるくらいから、それに名前と形があってもよいように思えてきた。

実は、私たちは松崎の路地を歩きながら、「うなぎ」になっていたのかもしれない。それは私たちが個と個の間のぎこちなさを残しながらも、まるで一体の生き物のように動いていくことで、町への感覚変化が得られた体験だったと言えるのではないか。例えば、梅屋と佐藤会席を続けざまに通り抜けると、ここが「家」であるとか、「お店」であるとか、「拠点」であるといった既成の言葉(概念)で予め分けることが困難なほど、これらが混然一体となった世界観が「うなぎの寝床」の生活にはあるように思えた。これは汽水空港に入る直前に、梅屋のおかみさんとお話したときに気づかされたことでもある。

おかみさんは、「昔はこの狭いところを行ったり来たりしながら、おもちゃを運んでいたんですよ」と、「寝床」から出てきたわたしに話しかけてくれた。「家」でも「店」でも「拠点」でもなく、「この狭いところ」としか言いようのない感覚、それが「うなぎの寝床」で暮らすことの空間感覚なのかもしれない。お話をしながら、昨年のツアーの折には、梅屋の2階に居た移住アーティストさんのアトリエを訪れたことを思い出す。おかみさんに尋ねたところ今その方はヨーロッパにおられて、ここにはお住まいになられていないらしい。

「仕方がないけど、さみしいわあ」と語るおかみさんだが、この文字通りのアーティスト・イン・レジデンス(A.I.R.)のドラマが教えてくれるのは、ここでは個人の所有物のように思える家屋でも、他者との共有が当たり前のように行われているという事実だ。それは他者をここに招き入れると同時に、ここから押し出してもいく、まさしく「うなぎの寝床」がつくりあげている営みと言えそうだ。

このドラマは上に記してきたような、伊勢湾台風時の小谷家での共同生活の逸話や、最近の移住者たちの世界観に見られる「この町の営み」にも通じるようでもある。ツアーの開始前に三宅さんが仰っていた「町への解像度が変わってくる」という体験とは、こうしたひとつひとつの物件にまつわるドラマを生み出す、松崎という町の営み、そのものに気づいていくということなのかもしれない。

そんなことを考えながら、ふらふらと「たみ」に戻ってきた。午後からはじまる分科会の確認を兼ねて、配布されたパンフレットを手に取ると、今年の「にんげん研究大発表会2019」のテーマが、「人間の脱分断-『あしあと』に耳を傾け、世界を横断しよう」であったことを改めて思い出す。パンフレットには次のようにある。

 

私たちが生まれる前からある町並み、お店や商品。歩くと出会うこの町に暮らす人々。これらは近いようで遠い存在であり、誰かが歩んできた「あしあと」でもあります。耳を傾ければ、小さな物語に触れることができ、無意識に分け隔ててきた時代や地域の壁を飛び超え、過去のものを現在、未来へとつなぎとめることができるでしょう。

 

このとき、「あしあと」に「耳を傾け」ながら「世界を横断」している「私たち」とは、いったい何者なのだろうか。興味深いことに、パンフレットの文章には、ここで言う「私たち」が「人間」であるという記載はない。実際にツアーを終えてみて、このテーマについて考えたとき、こうした「うなぎ」のように「人間ならざるもの」への感覚変容を経由することで見えてきた世界観に、「人間の脱分断」へのヒントが隠されていたように思える。ツアーの冒頭、わたしを含めた参加者に行程図が配られたとき、それは文字通りの「人が歩くための地図」にしか見えなかった。だけれども、今これを見ると松崎の町に放たれた「うなぎのあしあと」のようにも見えてくるから不思議である

 

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この日配布された「Matsuzaki Dramatic Tour2019」の行程図(一部加筆箇所あり)

 路地という路地にウネウネと入り込み、ヌメヌメとした粘りをもって、地図上の点と点を、人と人を、ひとつひとつのドラマと風景を、「町」という集合体として結びつけていく「うなぎになること」とは、そんな「私たち」の集合行為から生まれる想像力を示してみたメタファー(隠喩)である。だが、それはまだ一参加者としての独りよがりな解釈に過ぎない。だからこそ、わたしは他の参加者にとっての「町への解像度が変わる」体験がどんなものだったのかを、ぜひ聞いてみたいと思う。そもそも「うなぎの寝床」とは何なのか、「うなぎになる」ことで見えてきた世界観とはどういうものなのかを、「にんげん研究会」で深める機会があっても面白いかもしれない。今回の「松崎ドラマチック物件ツアー」を通じて出会った、さまざまな「あしあと」が教えてくれた、他ならない「私たち」への問いかけとして。

(報告:稲津秀樹)

 

 

1:ヘメンディンガ綾、2014「移住先は何もないところがちょうどいい!和紙ピアス

 から山カレンダーまで、鳥取に潜む良さを発信する『うかぶLLC』」https://greenz.jp/ 

2014/07/18/ukabullc/ (201991日閲覧)

2朝日新聞2016「とりどり 三宅航太郎さん」『朝日新聞デジタルhttp://www.asahi.com/ area/tottori/articles/MTW20160517320680001.html 201991日閲覧)

3東郷町1987「松崎温泉と旅館創業」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_ 

history2/default.htm  (201991日閲覧)

4東郷町1987「井戸と風呂」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_history2/

2hen/4syo/02020108.htm (201991日閲覧)

5東郷町1987「湖岸道路の新設」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_ history2/default.htm (201991日閲覧)

6鳥取県、作成年不明「平成29年度中交通事故発生状況(東伯郡湯梨浜町東郷校区内)」

https://www.pref.tottori.lg.jp/secure/1018182/tougou74.pdf  (201991日閲覧)

7:天神川流域会議編、2019『あれから60年昭和34年(1959年)台風15号天神川流域伊勢湾台風の爪痕』国土交通省倉吉河川国道事務所調査設計第一課発行.

8:とっとりずむ、2017「[HAKUSEN(ハクセン]東郷湖の景色を一望!鳥取にいること

を忘れてしまう都会チックなカフェ。-湯梨浜町https://tottorizumu.com/hakusen/2019

91日閲覧)

9東郷町1987「龍湯島のこと」『Web東郷町誌』http://www.yurihama.jp/town_history2/2hen/4syo/06010200.htm (201991日閲覧)

10:朴訥、2018「お知らせ」http://www.bokutotsu.com/2018/05/201991日閲覧)

11:池田遥、2018『「自分らしい表現」とはどこにあるのか鳥取県湯梨浜町松崎にある小さな古本屋『汽水空港を事例に』』鳥取大学地域学部地域政策学科2017年度卒業論文

12:稲津秀樹、2018「分科会『アートについてin汽水空港』報告」http://ningenkenkyuukai.hatenablog.com/entry/2018/10/03/150556201991日閲覧)

13:汽水空港、2019「『Whole Crisis Catalogをつくるvol.1』の報告」https://www.kisuikuko.com/app/Blogarticleview/index/ArticleId/12 (201991日閲覧)

14:蛇谷りえ、2018「にんげん研究大発表会2018<報告まとめ>」

http://ningenkenkyuukai.hatenablog.com/entry/2018/10/04/124108 (201991日 閲覧)

 

分科会「芸術と社会」in Smooth

「井戸端会議だから発される言葉がある」という企画趣旨のもとに始まった、にんげん研究大発表会2019。「井戸端会議」とは、集まった学生や参加者の方々が、会場ごとに与えられたテーマをもとに意見交換していくというものであった。その会場の一つとなった、メキシコ料理店兼ライブハウスの「スムースSmooth」では、「芸術と社会」をテーマにそれぞれの研究関心を通じて7人の発表者が集まった

 

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1つのテーマで集まったのはいいものの、研究関心の方向性が全く異なる7人。研究テーマも、音楽アウトリーチ活動、タイポグラフィ、路上パフォーマンス、エンタメトラック企画の提案などの芸術活動や、ダークツーリズム、アートの公共性、サステナビリティなど、それぞれ異なる大きなテーマであった。はじめに私たちは、全く異なったこれらのテーマをもとに、模造紙にテーマごとのキーワードをポストイットしながら、それぞれのテーマが内包するワードをより細分化していった。そうすることで見えてきたのは、テーマだけで見ると関連していなさそうな研究の間にも、例えば「一回性」といったキーワードでは繋がるところがあるということであり、さらに話し合うなかでは、それらキーワードと反対の意味を持つキーワードも見えてきた。このように研究テーマを細分化することで新たに生まれたキーワードを、類似するもの、反対または対立したところに位置するものとして、模造紙の中にいくつかの「島」を作りながら、再分配していく作業を続けた

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「井戸端会議」であるから、発表というよりは駄弁るというイメージ。ゆえに、研究テーマやキーワードから派生して、他の会場から訪れた人の考えや、他の会場から持ち寄った話題を織り交ぜながら、自由連想のような形で話は進んでいった。なかでも、移動式エンターテイメントや路上パフォーマンスなどの研究から派生して出てきた「一回性」と「自己満足」の二つは、特に議論されたキーワードであった。移動式エンターテイメントや路上パフォーマンス、音楽アウトリーチ活動など、アーティストを介するものには、「一回性」と「自己満足」が、常に付き纏う言 葉のように思われたためである。一回性の芸術、例えばライブでは、人々は一緒に行く友達を誘って、チケットを買っていく。YouTubeなどの動画配信サービスやライブ配信ツールなどを利用することでわざわざ足を運ぶことなく、音楽を聴くことができる時代に、改めてわざわざ足を運ぶ意味とは何かを私たちは考えてみた。実用性ではない「第三の価値」が、そこにはあるのだろうか。あるいは、アーティストについて考えてみるとわかりやすいと思われるが、人々は、一から自分で作るということに何か価値や魅力を見出しているように見える。彼らは、実用性や効率性から離れたところにある、無駄なもの、必要じゃないものに意味があると信じたいのかもしれない。このような駄弁りを通じて、「一回性」と「自己満足」をめぐる議論が交わされていった。

 

自らがパフォーマーとして活動する人が多い私たち「芸術と社会」チームに対して、他のチームから興味深い指摘を受けた。パフォーマーであるのに、自分の感情より意外にも「社会」に目を向けて研究しているという点である。言われてみれば、1日目の「芸術と社会」チーム内の井戸端会議の中でも、「これを載せたら自分がどう思われるのか」といった視点や、「どうやったら世に出られるか」などの発話が多く、また、「自己満足」というキーワードが出たように、パフォーマーとしての行為が自己満足になってはいないかという、言うなれば「社会の目」のようなものを、私たちは気にしているようにも思われた。

異なる環境で生まれ暮らし、出会う人や目に映る景色も違う人々がそれぞれの興味関心を通じて新しい出会いなどの体験をした「井戸端会議」。考えたこともないようなテーマや生きること、死ぬことなどの大きな人生のテーマまで、すぐに言葉にはできず、もやもやとすることもあったかもしれないが、その中で疑問や関心ごとが生まれる瞬間を体験できたかもしれない。普段学んでいる環境から少し離れて、「知識」が前に出ず、よりフラットな関係で話すことのできる時間になったと思う。

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(文:武田夏歩、編集協力・写真・オブザーバー:小泉元宏)

 

オブザーバー:小泉元宏のコメント

本分科会は、立教大学4名、鳥取大学2名、国際基督教大学生1名の7名によって構成されていた。ただし立教大学生と鳥取大学生の多くも、それぞれに学部や学科、所属が異なっており、「芸術と社会」という括りのなかでも、さまざまな関心を持った発表者が参加していた。発表や議論では、参加者相互の研究関心の関係性を捉えながら、キーワードを挙げることを通じて、自己や社会の新たな一面を探索的に発見することに多くが費やされていた。上記の文章における、「出会う人や目に映る景色も違う人々がそれぞれの興味関心を通じて新しい出会いなどの体験をした」という一文にも、そのことの一端が示されていると言えるだろう。また本分科会は、メキシコ料理店兼ライブハウスである「スムースSmooth」の2階を拠点としながら展開した。魅力的な絵や装飾を伴う屋根裏部屋のような佇まいを持った空間だからこそ広げることができた想像や議論があったようにも思われる。課題としては、部屋の使い方に関して事前に十分な打ち合わせができていなかった点が挙げられる。部屋の中に立てかけてあった木製のテーブルをマジックを用いながら筆記のために使用させていただいたところ、オーナーからインクの裏移りの可能性があるため使用を控えるよう注意があった。グループメンバーも事前に裏移りに配慮しながら慎重に使用していたとはいえ、あらかじめ部屋の使用に関するルールを丁寧に確認しておくことが必要であったと思われる。

このような普段とは異なる想像力の回路を働かせる機会は、たとえ一見すれば荒唐無稽であったり、ともすれば偏ったりしているように見えるアイディア出しが多くを占めたとしても、主流的な見方や考え方を転回させていくための萌芽となることだろう。参加者が、この機会に得た気づきを、今後の研究はもとより、自身や自身をめぐる生、あるいは社会に対する見方、切り取り方に生かしていくことを期待したい。